つまり矢印の部分、「過程」が最も重要なわけです。貧乏なこと、金持ちであることは重要ではありません。この矢印の見方をどう変えるか。どう与えるか。恰好悪くないじゃん、頑張っているのだからいいじゃないか、みんなで応援してやろうぜという見方を提供することが重要なのです。劣悪な環境を変えていこうというのではなくて、別に好きだからいいじゃない、頑張っていいヒット作品をつくろうよ、そういう過程を公開する。これによってヒットをつくっていくというのが今の手法なわけです。過程をどうオープンにしていくかということが今最大の、むしろ僕ら側の使命だと思います。
牧野 なるほど。―日下さん、ずっとお聞きになってのご意見はいかがでございましょうか。これに関してのコメントは―。「劣悪」はともかくとして、ハングリーな状態から生まれるのだという意見はマンガ界にも根強くあります。ですから大学などでマンガを教えてもしょうがないではないかという意見もあるわけです。髪ぼうぼうで、カップラーメンでも好きだからつくるのだと、確かに私たちもそういう生活をしてきたのです。しかし同時に、10人入ったアニメーターの7人までが肺浸潤になったという事実もあるのです。つまりその「劣悪」というものの中に意欲だけでは解決できない、何かもう一つ大切な問題があるように思います。“劣悪の程度”もいろいろあると考えるのです。
日下 たまたま、おとといの経済同友会で、来年の日本の経済政策について提言をしようということで、企業の重役がたくさん集まっているところで話をしたのです。終わって質疑応答のときに、近ごろの若い者はなっとらん。ぼろぼろの格好をして、日本の将来が心配だということを言った人がいたときに、そこにいた会長相談役の方が、そうは思わん。自分は旧制高校だったけれども、あのときの不潔きわまりない、劣悪きわまりないあんな格好をして歩くのが楽しかったのだ。あれに比べればガングロなんて立派なものだ。あれは世代の主張である。年上の人に合わせないということであって、そういう自分を楽しんでいた、とおっしゃいました。今のお話はそれを思い出して聞いておりました。