X+タイムでいく。それに対して日本は、XとYの連続、XY、XY、XY、漢字もそうです。そういう連続で物を見ているわけです。ということは、アニメでこういう立体的なものがない。パラパラ、パラパラというものは見ているわけです。これが珍しいので、アメリカやヨーロッパでこういう漢字やカタカナがはやったり、アニメがはやったりするのです。これは情報の摂取の根本が違うので、非常におもしろいと言われているわけです。これが基本的なパッと見た瞬間、体感的に今までのものと違うなと感じるものです。日本人は3DのCGとかは大変下手です。そのかわり2Dのアニメがうまいのはしょうがないです。今までそうやって育ってきた、すなわち後天的な才能、後天的な情報摂取の育まれてきた才能ですから、それは圧倒的にあるのではないかと僕は思います。後天的というのは実は音楽にもあって、これはこんなこと言ってしまっていいのかな。ちょっと逸脱してしまっていいですか。
牧野 言ってみてください。
高城 はい。人間の耳は可聴範囲というのがあるのです。これは御存じだと思いますが、絶対音感とかああいう本には書かれていないのですが、可聴範囲というものがあって、日本人が発する声や日本人が何かをしょうと思うときに聞き耳を立てますね。耳というのは聞いているだけではなくて、こちらから取りに行っているわけですから、こちらから出して取りに行っているこの可聴範囲、聞こえる、脳が判断する音というのがあります。この可聴範囲が日本とアメリカではずれています。ですから日本人がなぜ英語を聞き取れないかとか、日本の小室哲哉がアメリカに行ってなぜ駄目かというと、同じ音楽を聞いていても脳の中で聞こえている音が違うのだということは明快にわかっているわけです。ですからウィーン・フィルを聞いても、ウィーンの人が聞いている音楽と、僕らが聞いている音楽は実は違うのです。最近ヒトゲノムですごい薬が実は出てきて、可聴範囲を変えられる薬というのができたのです。