これがアイボになりますと、高価な電化製品といっていいでしょうか。ハイテク製品になったキャラクター。ピカチュウに関しては、タイム誌の記者が「一番有名な日本人はピカチュウである」というおもしろい表現をしました。―多少皮肉もあるかと思いますが―そういう表現をしたのです。その同じタイムの記者が、アイボをかわいがっている日本人を見て非常に驚いている。つまりロボットというものは言ってみれば機械であって、生き物ではない。しかし、日本人はなぜかそれに対して非常な思い入れがあって、心からかわいいねと言って頭をなでたりしているのです。この差というのはお感じになりますか。
どこの国にも森に行けば妖精がおり、海に行けば人魚がいたりするという感性は一見同じようにおもわれますが、物に対して、例えば針供養などをする感性ですね。針供養とか筆供養とか―。物に対して何か霊性とか人間味とかというものを付加させる、ダブらせるという行為―。そういう思い入れと、アニメーションのキャラクターをつくって活躍させるというところに共通点があるのではないか―?私の個人的な意見は、そこにこそ日本人の特徴があると思っているのですが、世界中を歩いていろいろな現場の方と接しておられる高城さんは、そのあたりをどのようにお感じになりましょうか。
高城 余り関係ないと思います。それを強引に関係させることはいっぱいあります。例えば「スター・ウォーズ」の中でキャンベルは確実に神話性を読み解いています。同じようにアニメの中で霊性のことを語る人も世界中に多くいます。しかし、基本的に「スター・ウォーズ」を支持している99%の人はそこでないところを支持しています。それは流行であったりとか、エンターテインメント性であったり、その手のものです。これは見失ってはいけません。ただ、脚本を書いていく中で恐らくルーカスや「スター・ウォーズ」を作り上げた多くの人たちは、意図的ではないにしろ、キャンベルが読み解いた神話性というものを偶然にも発見し、もしくは挿入したということはあると思います。アニメーションのキャラクターも全く同じことが言えるのですが、確実に日本と諸外国で違うのは、まず宗教感が圧倒的に違います。