日本の場合ですと、クリエーターとかアーティストの感覚が強いんじゃないですか、描くということに対して。
牧野 時間が残されていませんので、くわしく自説を述べるということはこの場ではできませんが、特異か特異でないかということの中に、日本が漢字を使っている国民である、それから、八百万の神々を信じている。つまり、無機物にも霊性を感じている。針供養したり、筆供養したりするような感性があって、アーム型のロボットにさえ仲間意識を持って名前をつけると。大村さんの仕事場でも、「ロドリゲス」がいました。そのように、器物にまで何か霊性とかキャラクターを感じてしまう感性があります。これはもっと専門の方が研究しなきゃいけないことですが、そういう“特異性”から、日本の人々が「アニメとかマンガを読み取っていく能力」においてすぐれているのではないか。−と考えるのです。
今、子供たちのワークショップを福井のお寺でおやりになって、大村さん自身が驚いておられる。これは、京都精華大学でも同じことをやっています。それから、東京の「こどもの城」も同様ですが、非常に短い時間で子供たちは自分のアニメーションをつくり、声を吹き込み、タイトルを入れて1本の作品をつくっていくなんていうことを、いとも簡単にしているんですね。これはもう、「全世界どこでもそんなことは当たり前だよ、子供はみんな天才なんだ。」という切り口で行くのか、いや、その中においても、日本人の持っている「DNA」の中に何かそういうものを得意とする要素があるのだという切り口で行くのか?端的に言いますと、こういうことになります。
これは、今後10回ぐらい残されているフォーラムの中で検討されて行くことです。それも含め、きょうの全体的な御感想でもよろしいですし、また、独立した御意見でも構わないんですが、こういうメンバーでお話し合いをするということは貴重なことですから、御意見をお聞かせ願えたらと思います。和英の記録をちゃんと残しまして、インターネットでも皆さんのところにお届けするというシステムになっております。