最初のころは大変だったですね。実はつくば博覧会で、「ユニバース」という富士通館の全天周立体映像というのをやりました。これは2年間ぐらいかけてつくったんです。これを2億5000万円ぐらいに見積もって、その子供たちが電通へ提出したところ、電通から電話がかかってきまして、先生、とんでもない見積書が来てます、何とかなりませんかと言う。どんな見積書ですかと聞いたら、「『ユニバース』制作費一式2億5000万円」という、たった1行の見積書だそうで(笑)。それで、急遽私が東京まで来まして、全員集めて、見積書の書き方というのを3日にわたって講習した覚えがございます。
そういうようなこともございまして、だんだん自分で仕事ができるようになっていった時代でございまして、月に400〜500万かかるうちの、大体40〜50万は赤字ですが、残りはその子たちが稼ぐというような感じでございまして、年間の赤字はそう大したことない、私が面倒見る、というのでやってたわけでございます。
それでずっと来まして、私自身も阪大でエンジニアやってたんですが、だんだん映像の方へ傾斜しまして、どう考えても映像をつくる方がおもしろいわけでございます。映画をつくってみたり、全天周映像をつくったりとか、いろいろなことをやってるうちに、どうもコンピューターをつくるより映画をつくる方が面白いなということで、とうとう流れ流れて、6年前に宝塚造形芸術大学になってしまったわけでございます。
そのワークステーションの時代がずっと続きまして、今から10年ほど前から、今度はパソコンの時代が始まるわけですね。
今から10年ほど前に、どうもパーソナル・コンピューターの時代が間違いなく来ると。コンピューターの性能が一気に上がって、しかも、思い切り安くて個人で買える時代が来ると。それを、戦艦大和主義で何億円のコンピューターを置いて、みんなでお守りしながら、高いリース代払いながら、電気代払いながらやるという時代じゃなくて、多分自分の家にコンピューターを置いてやる時代が必ず来ると思いましたので、今からちょうど8〜9年前だと思いますが、当時いましたアーティストたちを8人ぐら集めまして、1年か2年でお金をためてコンピューターを自分で買って自立せよと。ちょうどリースが切れる時期でございましたので、そう言いました。