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と同時に、「Links」というプロダクションをつくりました。そこに、当時のエンジニアとかアーティストたちも就職いたしました。残った人たちは、イメージファクトリーでフリーで仕事をするというような形でスタートしたわけでございます。

「Links」はもう世界最大のCGプロダクションになって、現在でもイマジカにデジバックスという、クオリティーは今でも世界最高クラスだと思いますが、ございます。当時、資生堂とかソニーとか、いろいろなトップメーカーのコマーシャルは、ほとんどが「Links」が引き受けてましたので、きょうはそのコマーシャルフィルムを持ってきておりませんが、皆さん大抵どこかでごらんになったことがあると思います。わあ、きれいだなと思ったものは、間違いなく「Links」の作品でございます。

そういう状態の中で、イメージファクトリー、これをずっと続けてまいりました。

問題は、なぜイメージファクトリーをつくったかというと、子供たちが、仕事はできるのに仕事場がない、仕事場にお金がかかり過ぎると。ですから、だれかスポンサーになって、そういう仕事を提供しないといけないというのでスタートしたわけでございます。やむにやまれずやっていたわけです。

ところが、「Links 1」というコンピューターも、1984年ぐらいに時代おくれになりました。なぜ時代おくれになったかと申しますと、1980年代というのはワークステーションの時代でございます。コンピューターが小さくなりまして、机の横に置いて、それを使って1人1人がコンピューターを持って仕事をするという、ワークステーションと称するコンピューターが一気に立ち上がってきた時代でございます。1984年〜85年になりますと、大体1台1000万円から4000万円ぐらいするコンピューターでございますが、「Links 1」の数億円に比べますと安いわけでございまして、そういうワークステーションの時代になった。

「Links」はでか過ぎるんで、1985年ごろに、約2億円ぐらいかけましてワークステーションを買い込んで、周辺機器も全部そろえまして、第2次イメージファクトリーをスタートさせたわけでございます。そうしますと、機器のリース台と電気代含めまして、当時で大体400〜500万月にかかったわけでございます。そのころになりますと、アーティストたちも仕事をちゃんとできるようになっていました。

 

 

 

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