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大村 ご紹介いただきました大村でございます。

私自身は、1960年に大阪大学を卒業して、その大学院に進学して、ばりばりのエンジニアでございました。ちょっと私自身のことを、関係ございますのでお話しさせていただきますと、1970年年代まではコンピューターのアプリケーションの研究をやっておりました。1977年に、銀座で酒飲んでおりましたら、偶然山本太一郎という映画のプロデューサーと友達になりました。

ちょうどそのころアメリカは、ジョージ・ルーカスとかスピルバーグとかコッポラとか、新進気鋭のプロデューサーが出現して、全く新しい映画をつくり始めて大ヒットしかけていたころでございました。70年代前半から後半へというのは、大学紛争たけなわで、芸術的活動も比較的落ち込んだ時期でございます。そこへ、ルーカスとかスピルバーグとかコッポラがつくった映画が、最近癒し系というのが流行っていますが、それに近い形で非常に若い人たちに受けました。1つの特徴は、ルーカスに代表されますように、SFXといいますか、科学技術を多用して新しい映像をつくるということが非常に明確になった時でもあります。

その山本太一郎と話していましたら、アメリカはどんどん科学技術でやるのに、日本は何や、お前コンピューターやってる割に、あんなこともようせんのか、といって挑発されまして、ついその挑発に乗って、映画作ろうやという話になりました。

当時「鉄人28号」という映画のプランがありまして、身長8mの本物の鉄人28号を設計して、銀座通りを歩かせて、ガードをくぐらせて、ひざまずいて花を摘むというようなことができるロボットはできるか、と言われまして、つい安受け合いしてできると申し上げました。

で、設計いたしました。8mですから立つだけでも難しいんです。でも、杖つけば立つんで、見えない杖、赤外線の杖を無数に放射して立てれば立つやろうと考えました。

 

 

 

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