日本財団 図書館


今は、例えばコップのアップがあって、コップをボンと置いたらすでに大阪にいると。同じコップをとった人が大阪の出演者だと、見ている人は驚くわけです。はじめ驚いた。驚くことまで計算に入れて、瞬時に「あ、今舞台は東京から大阪にきたんだ」ということを読み取るんですね。映画制作者もそれを見る人たちもハイレベルの鑑賞能力を共有しているのだと考えます。ここで、黒須さん、各国の資本を集めて映画をいろんな形でお作りになっているんですが、そのときに、今言ったような読み取り能力の差というのでしょうか、質の差などもあると思いますが、そういったことはどのようにに調整されているんでしょうか。

 

黒須 それが一番難しい問題で、現在、スペインとフランスと私どもとで「マルセリーヌ」という、「汚れなき悪戯」という昔のスペインの映画ですが、これをアニメ化をしているわけです。ただ、ここで、それぞれのアーティストの違いというのは歴然としていまして、やはり、日本的なスタイルというのは、先ほどから話が出ていますけれども、見るほうもそうですけれども、作るほうもイマジネーションというのは日本人は非常に発達しているようで、見るほうにしても止まっていても、そこでちゃんと想像するわけです。アメリカ的に動きで見せる。こっちで小鳥がコチョコチョやらないと情景がわからないということではなくて、こういう場面だとこういうふうにという一人で勝手に想像する。それは非常に長い間に培われた社会的な背景もあったと思いますが、それができる。

それから、書き手もアニメーターは一つの作品を見ればどういうふうに動かそうかというふうに、日本のアニメーターはそれができるわけです。ところが、ヨーロッパの人たちもこれはアメリカ的な影響を受けていますけれども、非常にマニュアル化された制作体制しかできないという事があって、絵は実にうまいですし、一人一人の才能は非常にある。絵コンテを見ていくと非常にきちんと良くできている。それから、ある程度のレベルのアニメーターなら誰に描かせてもそれなりのレベルのレイアウトが描ける。ところが、ずっと見ると前と後ろで全然話の辻褄があわない。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION