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これは亡くなった宇野重吉さんのナレーションがとても良くて、僕はそれがほしくて、大使館とかいろんなところを探し歩いたんですが、ついにお目にかかれなくて。社会主義国だから予算がふんだんにあって、そういうリミテッドアニメーションを、試作的に制作したのかも知れません。僕のようなおじさんが見てもその映像がいまだに心に残っているということは、いかにそのリミテッドアニメの訴求力が凄かったかということなんです。それは純粋にリミテッドアニメの効果を追求したものだと思います。

ちょっと前置きが長くなったんですが、日本アニメの場合でも、カット割りといってカットをつなぐときに、目線だとかいろいろ映画のリテラシーといいますか、映画のカメラの原則というのがありますよね。まずフルショットがあって、それから女性に寄って撮って、次に相手の男性に寄ると、向かい合っているように見えるんですよ、とかいうように、いろんな法則があります。ところが、マンガのコマ割りというのができて、これはテレビの影響もあるんですが、その法則というのがゆるんでまして、目線があおうがあうまいが、とにかく男がいて女がいて話をすれば目線なんか関係なしに会話しているように視聴者は見てくれるんだよという記号的なカットつなぎが通るようになってきています。日本ではテレビリテラシーもコミックリテラシーも視聴者や読者の質が高いものですから、ウジャウジャ逐条的に説明していくと、そんなもんかったるいというので、見てくれない。

それは、根源に読み取りという、象形文字のところまでいくのかもしれないんですが、作者と受け手側がキャッチボールしつつ、より効率的記号的表現方法を目指して進化しているんじゃないかと思います。

 

牧野 私などが小さいときに見た映画では、1年たちましたという表現は、春、夏、秋、冬の時間経過を表すのに、土筆が出て、サクラが散ったあとセミが鳴く。モミジのシーンの後に雪が降る。こと一通り映して見せる。汽車で移動するカットがあって大阪に行きましたみたいな、そういうしないと鑑賞者がそれを納得しないという時代があったと思います。

 

 

 

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