小野 今皆さんがおっしゃったことは非常によくわかって、僕もいろいろ考えていたことがあるんですが、日本の漢字文化ですね。漢字があって平仮名があって片仮名がある。今は使わないというよりも、そろそろ復活してきました漢字にフリガナをつけますよね。あのやり方というのは非常に進んだやり方でおもしろいですね。つまり、一つのことが複次元で頭のなかに入ってしまうんですから。
このことを一番早くマンガに関連して考察しておられるのは、御存知のように、解剖学者の養老猛司先生ですが、あの方もマンガのファンなんですが、ちなみにいうと、養老先生のお好きなマンガは高橋留美子の世界でルーミック・ワールドとマンガファンのの間で言われていますが、あの「うる星やつら」とか「らんま1/2」とか、それがお好きなんです。そのなかで、例えば養老さんもおっしゃるし、僕も時に引き合いに出す、こういう冗談があるんですよ。このなかには、いろんなキャラクターが出てくるんですが、サクランボウというキャラクターが出てくる。サクランというのは頭が混乱して錯乱状態であると言いますその錯乱です。それを漢字で錯乱、つまり本当に混乱してしまって、ボウはお坊さんですから坊と書いて、錯乱坊と書いてあるわけです。あれは「うる星やつら」ですね。錯乱坊が出てくるマンガは。その錯乱坊が他に人に紹介される場面がマンガにでてくる。すると、錯乱坊がこう言ってあいさつする。「サクランボウです。チェリーと呼んでください」と、これだけでもうすでにマンガですよね、絵がなくても。サクランボウは英語でチェリーというとか、そういうことが当然前提にあるとわかったうえで言うわけです。そのときのサクランボウはいわゆる食べるサクランボウで錯乱とは違うんです。そういうことがいろいろ組み合っているけれども、それを一瞬にして読者はパッと理解してしまうわけです。それが、一つのジョークとなるんですかね。ほんの1コマのなかでただそれを言っただけで、それ自体が絵がなくてもマンガなんだけれども、マンガのなかにそういう要素が入ってくるわけです。