男のほうが通うという生活を描写するには漢文は適切ではないので、だから女性のほうから平仮名で源氏物語を書いたのではないでしょうか。源氏物語の特異性というのをたどれば、そういう生活が日本にあったからだと、漢文の世界にはなかったからだということがいえます。この日本列島のうえに2000年かけて築き上げた日本人のステータスがあって、それが日本のマンガにも随所に表れているのです。
そう思ってみますと、例えば、日本のマンガには、「お出かけですか、レレレのレ」なんていう何の関係もない人が出てきますよね。あれは一種の小道具なんでしょうね。ああいうのは外国のマンガにはあまりないんじゃないでしょうか。つまり、極めて論理的に考えていくと要らないものは要らないんですよね。とにかく、日本はあるがままに考える、あるがままに受け取るという現実主義がありまして、それを面白がると、日本のマンガは小道具が多いんです。最近そういう遊びが減ってきたのは、マンガ作者の心に余裕がなくなってきたんじゃないかと思ったりしております。
牧野 漢字のもっている象形文字としてのインパクトの強さ、その件に関してもこの前言及されたように思っていますが、そこを膨らませていただけると助かりますが。
日下 子供は漢字をすぐ覚えます。木という字は木の絵で、女という字は赤ん坊を抱いている腕の格好を表しています。子供にとってはイメージし易いし、覚えやすい。それをちょっと丁寧に描けばマンガになるわけですから、マンガと漢字にはもともと区別がないんです。日本でマンガが発達するバックグラウンドの一つでしょう。その点、アルファベットの世界からマンガに入る人は苦労するだろうと思っております。
牧野 私の場合は、個人的な小論文にも漢字とマンガの関連性というものを取り上げたりしていますが、マンガのなかには御存知のように、吹き出しのなかに文字も入っておりますし、それから擬態語、擬声語、あらゆるものがそのなかに打ち込んであるわけです。