そのころ、手塚さんのお話ですと、1本の放映権料、制作費というふうなことになると思いますが、180万円から190万円ぐらいだったと聞いております。そうすると、それはちょうど大学卒業して初任給が1万8、9千円、2万円にまだちょっと達してなかったかというぐらいの給料のときですから、そんなものは制作費でもう大赤字になるんです。そのために、明治製菓でキャラメルを出したときに、マーチャンダイジングというのがはじまったわけです。テレビで放送している人気ヒーローがキャラメルの箱についているから買う。そうすると、その売った価格の3%がプロダクションに入ってくる。手塚さんのところにもちろんいくわけですが、その他、何人かの著作権者がシェアするというような形ではじまった。これは制作の赤字を補填するという意味で大変大きな副収入だったわけです。たぶん、NHKだけの公共放送でしたら今日の日本のテレビアニメというのはなかったのではないかと思います。
そこで、私はマーケット論というのを言いまして、ほどよいマーケットがテレビアニメを育てたと思っているんです。テレビメディアがあるときは憎らしく、あるときは猫なで声で、いい作品をもっとどんどんつくってください、制作費はもっと安くしてくださいというような形でやるんですが、そのテレビとの愛憎劇というか、それが日本のテレビアニメの競争力を生んだその原動力ではないかというように思います。
それからもう一つ、マンガが母で、テレビ局が父だというふうに、私はいつも思っておるんです。それは、手塚さんが一番初めにテレビアニメをはじめたんですが、東映動画はそれを指を加えて見ていたわけです。で、我が社もその翌年にテレビを始めたわけですが、我が社は大赤字になりまして、それが何とか綱渡りみたいに今日まで続いているわけですけれども、それまでは、劇場アニメーションに全てをかけていたわけであります。劇場アニメの制作システムはディズニースタイルを導入しました。2年に1本、あるいは1年に1本の長編アニメを作る。アメリカの当時の近代的な分業システム、つまりは流れ作業ですね。そのなかで、演出家だけがオールマイティにチェックしていくというような分業体制で流れていく。ということは、非常にたくさんの労働力が要ったわけです。