それが終わると、もう二度と見られないというのがテレビアニメの特性なわけです。「あれはどういう意味だったのかなあ」というので、前のページを繰ってもう一度読むということができない。そういうメディアなわけです。今はビデオとかいろいろな媒体ができましたから、好きなところを止めて見たり、繰り返して見ることもできるわけです。
その日本のアニメが特異かどうかというのは、例えば、歴史的に見るとアニメそのものが大量生産の難しい希少価値のある存在であったという点で、既に特異であったとも云えます。現在、日本のような形でテレビ放送されてシリーズになって世界に出て行っているというのは、アメリカのごく限られたテレビの作品しかないのではないかと思います。ヨーロッパも、今、東欧等を下請け圏内に組み込んで、フランスやドイツあたりが独自のアニメーションというのを制作しようとしておりますけれども、まだちょっと日本に追いつくまでにはなっていないかなというふうに思います。
日本のテレビアニメはなぜ独自かといいますと、東京に5局、コンペティティヴなテレビ民間放送が成り立っているというのが非常に大きいと思います。手塚治虫の「鉄腕アトム」というのは1963年の1月1日にはじまりました。民放というのは、ご承知のように営業が成り立つかどうかというのが大切で、そのために視聴率がどれだけとれるかということが重要なわけです。
昔、若い方は御存知ないかもしれませんが、明治・森永戦争というのがございまして、明治はいくらかアメリカ資本が入っていたんですか、森永が国粋資本で、事件等も起きて壮烈なシェア争いというのをしていた。その「鉄腕アトム」は明治がこれを1社提供でスポンサードしていたんです。キャラメルに鉄腕アトムのキャラクターをつけたところ、これが猛烈に売れたわけです。どうしても森永に追いつけなかったのが急速に追いついたんです。それを各企業が放っておくわけありませんで、「それじゃ、うちもやろうじゃないか」というようなことで、いろんなスポンサーが1社提供で参入しました。