それは、ある意味でフルアニメーションにしないで、止めの技術だとか、非常にいろんな意味で特殊なカメラワークとか、それから背景の技術も非常に写実的なうまさとかいうことを組み合わせしながら、日本的なスタイルというのができてきた。
それからもう一つは、ヨーロッパあたりは、EC域内のアニメーション制作能力というのは非常になかった。少なくとも、10年ぐらい前までは全体のなかでおそらく1割以下しか、EC域内での制作能力がなかったというふうに理解していますけれども、そのかわり大量に日本から安いものが入っていって、一つの地位を築いてきたということも、同時にあると思います。
ということで、安くて短期間につくにつくることで創意工夫されたものと、日本のコミックのストーリーの面白さとかということが重なって、ちょうど年齢的にも10歳以上の新しい市場を開拓してきたということで、一つの独自な形ができたとは思っています。
牧野 お二人には後ほどまたお話をお伺うとしまして、続いて、東映アニメーションで制作に携わってこられた山口さんにお聞きいたします。私は、20代はアニメの職人でした。東映で長編映画が続々出たころに、TCJというアニメーション会社、これはコマーシャルアニメーションを専門に作っていた会社です。当時コマーシャルの8割はアニメーションでしたが、そのアニメーターでありました。そういう立場から、東映アニメーションの華やかな部分と陰の部分と両方を同業の立場から見てきたわけです。まさに、山口さんは内部からアニメーターたちをそばからご覧になっていた。そういう視点で、同じ質問を投げかけてみたいと思いますが、よろしくお願いいたします。
山口 東映アニメーションの山口です。今、先生方からいろいろ考えが示されまして、それにつけ加えることはあまりないのですが、マンガという紙媒体に対して、テレビアニメは、時間芸術といいますか、どんな小さい子も大きい人も、男の子も女の子も、とにかく30分のなかで見せる。