日本財団 図書館


ただ、それは、1930年代から今まで「スーパーマン」「バットマン」「Xメン」など、歴史がありますが、全部薄い。週刊誌大で32ページ、広告ページも含みます。紙質はどんどんよくなって、印刷はよくなっています。そういうなかで物語を語るわけです。二十数ページで物語を語るので、初期の「スーパーマン」や「バットマン」というのは、全部一話完結でした。7ページぐらいで終わっている話が三つ入っているとか、そういうのが多かったんですよ。20ページ1話完結とか。

ところが、その間にも、60年代に一つ変化がありまして、「Xメン」というキャラクターをつくった人がそれをやったんですが、うんと話を長くしようというので、何号にもわたって話が続くようなものが多くなった。そういったコミックというのは基本的には月刊誌です。月間はたった20ページぐらいですが、タイトル別ですから、「スーパーマン」なら「スーパーマン」、「バットマン」なら「バットマン」、「スパイダーマン」なら「スパイダーマン」、タイトル別になってそれが何十種類とあるわけです。1冊の雑誌に違うマンガが幾つも入っているんじゃないんです。

しかし、70年代ぐらいから、日本のマンガの影響もあります。日本のマンガの影響はどうして起きたかということは、いろんな考え方があるんですが、僕の経験では、もう60年代の終わりから、つまり手塚治虫の「鉄腕アトム」がアメリカでTV放映されたのは1963年です。これは今でも後遺症的にずっと影響が、あれがさきがけというのですか、アトムを見て育ったファンというのがいるわけです。10代でアトムを子供のときに見ている。今どのくらいになりますか。60年代半ばからもう40年近くたっていますね。そういう人たちは、アトムに魅力というものを感じたわけです。そうすると、ほかのマンガはどうだろうか、日本のアニメというのはどうなのかと、興味をもちます。そういうファンが生まれたわけです。

その人たちと、僕がいろんな形で接触してきました。60年代の終わり、70年代のはじめに、手紙のやりとりなどもしたんですけれども、向こうでマンガの本を送ってくれっていうから日本のマンガを送ってやって、そのかわり向こうのマンガを送ってもらったり、それと同時に、紀伊國屋書店がカリフォルニアにできたりすると、そこで日本のマンガを売り出したりしたんです。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION