編集者のほうは早く読ませるマンガを書かせる。つまり、早く消費してもらいたい。そうすると、今でいうと手塚治虫の「鉄腕アトム」というのは古典になっていて、今でも全集が出ています。同時に、あの頃は「鉄人28号」というのも出たんです。ただ、両方とも人気があったんですが、あるとき「鉄人28号」のほうがアトムよりも人気が上になったんです。それは書き方をみると、内容ということもありますが、おもしろさもありますが、両方ともロボットのマンガです。結論的に言ってしまうと、横山光輝さんの「鉄人28号」のマンガのほうが頭を使わないで、すむわけです。例えば私がこう話しています。こうやって話しているコマがある。汗をかいてるなというと次のコマで汗が必ずでてくる。2コマ使うわけです。その次の3コマ目で「ムム」と言って反応するわけです。3コマ使う。そうすると、手塚治虫さんは、例えばその間汗が流れていて何か言うようなひとコマで済ませる。ページ数は同じとっていても、「鉄人28号」のほうは早く読めます。そんなふうな趣向がだいたい週刊誌の時代になると売れるようになるわけです。
だんだんそういうスタイルが全体に浸透していくので、それが1960年代ずっといって、今に至るまであるんですが、いつの間にか期せずして、コマ割りの画面が見やすく大きくなるんです。それで早く読める。例えばきょう見てきた「少年マガジン」に載っている野球マンガがありますが、その野球マンガもその伝統をおっていまして、30ページぐらいの連載で、ピッチャーが次の球をどうやって投げるか、バッターがそれをどうやって打つかということをやっているんです。1球投げるだけで30ページ使ってしまうんですから、こんなマンガは世界中にないんです。それを読者もそういう描き方というのを納得しているわけです。次に大変大きくなって、汗流しててこうやっている。どうなる、どうなるといってそれで30ページいってしまうんですよ、今売っている「少年マガジン」がそうです。
そういうようなことができるというのは、日本のマンガの進めてきた、発展した一つの形です。それでは、外国のマンガはなぜそうならないのかという質問になるわけです。漫画家の技術だけではないわけです。つまり、今申し上げたように、産業形態、出版する雑誌のメディアの形態が変わってくると内容も変わるわけです。