ただ、そういう日本の物語マンガが、例えばアメリカに入っていたのは70年代ぐらいからすでに入っていますから、あるとき突然話題になったというのは、その現象をその時になって見ている人にしてはそうでしょうけど、それなりにじわじわと浸透していったというか、そういうファンが海外にも生まれていたというのを長年にわたって見ている者としては、別に驚くことではないといいますか、今さら取り上げてもという感じがあるのです。実際はそういうことになっています。
非常に簡単に言ってしまうと、日本の物語マンガは特異です。世界のなかでの位置づけとして特異です。というのはどういうふうに言ったらいいでしょうか。漫画家の絵のうまさとか、それから技術的な問題、アーティスト側からの問題というだけではなくて、やっぱり、マンガ出版の産業形態が他の国と違うんです。違うというのは、日本の特異性ということを言いますと、歴史的なことを言わなければいけないんですけれども、つまり、「漫画サンデー」と「少年マガジン」という2冊の週刊誌が同時に、1959年4月に創刊されたんです。僕は覚えていますよ。創刊されたのは僕が大学に入ったときで、少年週刊誌が出始めたわけです。
僕は、国際基督教大学に入学し、下北沢のほうから通っているので吉祥寺まで電車に乗っていって、そこから基督教大学行きのバスに乗り換えるんです。そのとき少年サンデーを30円で買ってバスに乗っていると、同じ英語のクラスの女の子が、今でも非常によく覚えていますが、僕の隣に座ったわけです。「少年サンデー」を僕がバスのなかで開くと、彼女がそれをパッとふさいだというか、マンガをぱっと裏返しにしたんです。それは今でも非常に印象に残っています。
もちろん、「大学生がマンガを読むなんて」と言われたのはずっとあとのことです。60年代のずっとあとになってからです。59年で僕はそれをしていたわけです。隣に一緒に乗った女の子は、この人はNHKの平野さんの奥さんですよ。国際問題でときどきテレビに出てくる平野次郎の奥さんになった人ですが、彼女が隣に座って、僕が少年サンデーを開いたらパッとこうした。つまり、マンガを読んでいるということは恥ずかしい気持ちが彼女にあったわけです。