やっぱりいろいろ生まれてくる新しいもの、それは限定したものじゃなくてすべてのものがそうだと思うんですけれども、時代が必然的に生んだものだと思うんですね。それは本人が意識していなくても、歴史的に見たら必然的というか、歴史的なものからも学んでそれができていくということが非常によく見えるし、だからそういった無意識の見方も大事ではないかなと思うんです。
一方これからどんどん確実に、いやが応でもコンピュータというものが我々の世界の中に入ってくるのは必然だと思います。我々は、多分、仮想社会と現実社会との棲み分けをしなければならないというか、行ったり来たりしなきゃいけないと思うんですが、その中でどのように自分の分身を使ったネットワーク・コミュニケーションを充実させていくかということも、非常に重要な問題になってくるのではないかなと思います。今は技術者優先でこういったネットワーク社会がつくられていると思うんですけれども、そういった世界に風刺だとかユーモアだとか、そういったマンガが持つ力というのが入ってきたときに、これは新しい情報の力になるなと強く予感します。そういったこともこれからどんどんできてくるのではないかと思いますけれども。
牧野 今、絶対値とおっしゃった「チ」は値のほうですか。
土佐 値もあるし、知恵の「知」と考えてもおもしろいですね。イソップの『北風と太陽』じゃないですけど、あまり叫ばなくてもわかる。大衆ってばかじゃないですから、わかってるんですよね。言わないだけなんですけれども。そういうことを非常にあまり高いところから言うのは全然効果がないので、非常に低いところというか、みんなと同じようなところから発していくことというのが重要じゃないかなと思うんです。
リテラシーって上から下に見るものではなく、そういう人と同じレベルで言うことだと思うし。先ほど日下先生からお話を聞いて思ったんですけれども、これからコンピュータ上でのインタラクティブ・キャラクターは愛情を認識していないといけないということがわかりました。「愛情と情報」というのはかなり大きなキーワードかなと思いました。