土佐 それはちょっと違うように思います。芝居を見ているときは自分で動かないですよね。頭の中だけが舞台の中に入って感情移入しているわけです。自分が実際に体験するという点で、芝居とこの作品は結構違うのではと思います。
でも、我々はこういう時代の中に生きていますから、半分ネット社会の中で生きて半分現実の中でコミュニケーションをとらなきゃいけないわけで、何が現実で何が非現実かというのはたしかに別の大きな問題になってくるとは思います。
しかし、やっぱり自分がここにいて自分が人とコミュニケーションしているということは、映画を見たりとか演劇を見たりというイメージ上の世界とは何か別次元にある感じなのではないかなとはやはり思います。
牧野 人魚は想像上の産物ですが、この作品では触覚も与えるとおっしゃってましたね。人魚に触るとビビッとくると。想像したものが水の中に映っていて、映像であるにもかかわらず指を突っ込むと人魚の触覚が得られるわけですね。ヌルっとするかビビっとするかピチピチとするかわかりませんが、そのうちに魚のような感触が与えられたときに、これは現実とか非現実とかという問題よりも、現実じゃないに決まっていながらも実際には感触があり、そこに物体があるように感じられる。しかも自分の心理を、全体とは言いませんけれどもある程度代理している物体−こういう摩訶不思議なものが生まれる。土佐さんにお聞きしたいのは、創作を始めた時から完成状態を想像していたのか、結果としてできてしまったものなのか、現在の完成作品に対してどのようなう感想をお持ちでしょうか。
土佐 大体、物を作る時は考えて進めている割合が大きいんですけど、結果としてこんなになってしまったという部分は30%〜40%ですね。