そうなるとどこへ残るのかというと、人々の心へ残るしかないんですね。あとは文書に残していく。そういった形になるような、非常に概念的なものではないかなという気もします。
一方、やっぱり非常に大きな力を持っているのは、この間、スペインでガウディのサグラダ・ファミリアを見たんですけれども、ああいう時代を超えた作品の持つ力というのを目の当たりにした時に、こういうパワーが今のIT革命、それからメディアを使っていく仕事に欠けているんじゃないかなと思ったんですね。どうしたらこんなに時代を超えるような非常に強烈なパワーというものを電子メディアの中に取り込むことができるかなというのが、次の課題となってきます。
牧野 秋山さんは、今、実際に多摩美術大学でデザインの教鞭をとっておられるわけですけれども、理論的に既存の物を整理して分類して何とか位置づけようという学問の作業が地道に進む一方で、それを破壊するかのごときこういう現象がどんどん生まれていく様子をまさに今回の映像でご覧いただけたのではないかと思いますが、率直なご感想を聞かせください。大学での後期の授業に影響がでるのではないですか。
秋山 今の土佐さんの作品を見させてもらってすごく面白いなと思いました。その面白いなと思ったのは、嘘とホントという2つの両極を意識情報と無意識情報と言って、その意識情報には嘘があるんだと言い切っていますね。逆に無意識情報に嘘は無いんだというように、簡単に2極が分かれている点はすごく面白い、魅力的に思いました。この嘘の部分を見事に暴き出したりしていることが、ユーモアだとかマンガの中に非常に類似するところがあって、物を見る視野が何てやわらかいんだろうと感じたんです。
僕はグラフィックデザイン学科の中でビジュアル・コミュニケーションのデザインをやっているんですけれども、人間はなぜ何か見たときに心が動くんだろうという問いが常にあります。例えば一つの例として龍安寺の石庭を皆さんの頭の中にイメージしていただくと、あれができてから1000年近くの間多くの人々があそこを訪れているわけです。