僕にとってはその背景にユーモアがあるということがすごく重要でした。そのユーモアというのは一体何なんだろうと考え続けてみると、単にユーモアだとかジョークがあるだけではなく、気持ちがよくなるとか、開放される、要は自由になれるということなんですね。ビジュアル・コミュニケーションは一体どういうものなのかということを自分の命題として大事にしています。
そうやってきますと、マンガの持っている独特な表現が入りやすい入口であったということなんですね。ところが、まだマンガというのは理解されてなくて、マンガ全体を僕の視点から見ると、大学で言えば一つの学科を設置してその中に専攻がめちゃくちゃあるぐらい、何しろ広いわけです。それを一くくりに「マンガ」と言っちゃうからみんなこんがらがっちゃって、手塚治虫のマンガを象徴して、あれが全部マンガだと思うこと自体がもう認識が誤っていると思います。僕は、広くてつかみどころがないものだなと考えています。つまり、一個一個それを理解していくまでに大変な時間がかかって、そういう意味では京都精華大学のマンガコースはあまりにも小さいというか、まだ領域が狭くて限定されていて、僕は、これが10個とか20個ぐらいないとマンガ自体は理解できないと。つまり、医大があると同じようにマンガ大学がなければおかしいだろうなと僕は思っています。
そうすると、そのマンガということからさまざまなことを研究して、それは工学であろうが科学であろうが医学であろうが、あらゆるジャンルとジョイントができるというふうに思っているんです。マンガの中のユーモアが効果的に利用されるといろいろなものがコミュニケーションできるわけなんですけれども、そのユーモアということは一体何だろうと思っても、さまざまな哲学者たちが幾つかの答えを出していたり、僕たちの先輩たちがユーモアってすごく人間にとって生きる力を与えるんだというふうに言っているんですけれども、それが何故かは解明はされていないと僕は思っています。
それからもう1点、マンガの持っているおもしろさというのは、人間が初めて描いた絵と非常に近いことです。人間が初めてかいた絵というのは、ここにいる皆さんが自分の子供のときを思い出して欲しいんですけれども、落書きのように描きますよね。