その笑って答えない領域を人に見せるのは文章自身がないと。禅宗の教えにあるわけですね、文字を立てず、教えの外だと。禅宗で最後に悟るところは教えの外ですよ、文字は書けないですよ、みずから悟るんですよと。そのためにはいろいろ珍談、奇談が多いわけでありますけれども、そこへ迫って我々が悟性とか感性とか暗黙知とか直感力の世界で高さを越えていくにはどうすればいいかというのが私の気持ちでございます。その努力の一つとして、日本が既に到達している水準の高さ、そしてここの3人の先生方がそれについて取り組んでいらっしゃる姿をみんなに見ていただきたいなというのが、私の切なる願いでございます。
長時間ありがとうございました。(拍手)
司会 それでは座長にバトンタッチさせていただきたいと思います。牧野座長、お願いします。
牧野 今、日下さんからたいへん明快なお話がありました。その中で、大学で教えられないものがマンガにはあるというお話がございましたが、私も友人のマンガ家たちから、「マンガなんて大学で教えられる類のものではないだろう」と言われつつ京都に通ってマンガを教えているわけなんです。4年制の美術大学でマンガを教えているのは京都精華大学だけなんですね。私どもは授業料も払わずに先輩のポケットマネーでマンガ家に育てていただいたというような感覚があります。けれども、平成の現在、大学に約10倍の倍率を超えて全国からマンガを学びに来ているわけです。たった一世代でのこの変化は驚くべきものであります。一番驚いていることは、我々が何も教えなくても彼らはマンガを描いてしまうということ。そして、アニメーションというのは相当高度な技術が必要だと思われている分野なんですが、ここでも教える前から自分でアニメを作り始めてしまう能力を持っている。このこと自体が研究対象になってもよいのではとさえ思います。