○ヤルマン 私はこの言語について、少し申し上げたいと思います。これは非常に重要な問題です。青木先生がおっしゃっていらっしゃいましたが、トルコの経験で非常に魅力的なことは、ヨーロッパのさまざまな国が、ヨーロッパの文化をトルコに入れようとした。イタリア系の学校が、フランス系の学校が、ドイツ系学校が、アメリカ系の学校がトルコに設立されましたし、若い人たちがいろいろなヨーロッパの言語を勉強しました。少なくとも、エリートといわれる人は、このさまざまな言語を勉強したわけです。そしてその後、政府の文化政策が変わりました。政府は、学校を開放するということを決めたわけです。いろいろな言語を導入して、ドイツ語、英語を主に教えている公立学校ができた。もちろん、大学では、ほかの言語も教えられているわけでありますけれども、公立学校において多言語による教育が始まった。こうして、先ほど青木先生がおっしゃった多面的な世界が出てきた。さまざまな複数の言語を話すことができる人がどんどんできてきたわけです。しかし、この点でトルコは、特に幸運だったわけではありません。おおむねトルコ語という、1つの言語を話します。インドに行きますと、どこに行きましても、2つか3つの言語を話しているのです。あるいは4〜5つも。一人の人間が、場所によっていくつかの言語を話すのです。複数の言語を学ぶことになれているのです。
この点で、近代世界で、余りにも同じというのは危険です。アメリカ人は多くのことを失っています。つまり、アメリカ人は、ほかの言語に十分に注意を払わないということで失うものがあります。私自身、ハーバード大学では大変でした。私の学生に、みずからもっと広くほかの言語を学べといって奨励するのが大変だったのです。しかし、なかなか学ぼうとしなかった。もちろん、中にはとても優秀な学生がいて、こういう学生は本当に努力して、複数の言語を勉強するのですけれども、そういう人の数はアメリカでは少ないのです。大学の外国語の試験を重視しないと、ほとんど外国語を話すことができない。読むことはできるけれども、しゃべることはできないとなってしまうわけです。ですから、全世界的に努力をしなければいけません。複数の言語を発展させ普及させるという努力が必要です。幾つかの重要な言語を、我々教える者がそれを話すことができるようにならなければいけないと思います。そうすることによって、1つの言語だけにとらわれるという狭いメンタリティーから脱出していかなければいけない。
○モデレーター ゼウフナー先生、どうぞ。
○ゼウフナー 私、時間の関係で1つ忘れてしまったポイントがあったということを思い出しました。青木先生が思い出させてくださいました。それは、ヨーロッパの文化政策にとって重要なポイントなのですが、言語に関する政策です。特にドイツでは、この数年間、特に最近、英語が重要になってきているわけですが、ドイツの文化的な研究所は、これに対して巻き返しを図って、戦っている。しかし、ドイツの大学の方は反対で、英語で講義を始めるようになっているという動きもあります。