こうした観点から、東南アジアの中でシンガポールは例外といえます。シンガポールは、より高度に発展した経済、より高い所得レベル、そして政治と統治という面でより効果的に管理されているので、他の東南アジア諸国とは異なります。このような条件が揃っているので、シンガポールはアジア経済危機をかなり容易に乗り越えることができ、余り影響は受けませんでした。青木先生も少し指摘されましたが、シンガポールは、1970年代以降、常にグローバル・シティーであろうとしてきました。しかし、この20世紀の終わりにおけるグローバル・シティーというものは、未来のグローバル・シティーとは違うということを申し上げたいと思います。多くの理論家がそのように指摘しています。
20世紀におけるグローバル・シティーとは何かということですが、これは、シンガポールにとって、またほかの諸国にとっても非常に重要なことです。これまでのグローバル・シティーは、ニューヨーク、ロンドン、東京などの主要都市で、衛星としてのグローバル・シティーとしてシンガポールなどは成功しています。しかし、これからの新たなグローバル・シティーというのは、それぞれ独立したものであります。そして、自分自身のエネルギーをもって、ダイナミックなクリエーティビティーをもち、あらゆる条件に対応することができるというのが、新しいグローバル・シティーです。
アナリストが主張しているとおり、社会がより開放されて、多数の人による社会貢献、自由な討議がおこなわれるような、自由な環境の中で、一人一人のクリエーティビティーを自由に発揮できるということが前提となります。こうした点では、シンガポールのような国にとっては課題があります。シンガポールは、こうした要素以外の要素はもっており、衛星的なグローバル・シティーの地位を達成しました。20世紀まではそうだったのです。新しい時代に向けて、シンガポール政府は新たなグローバル・シティーの期待に向けて多少の準備をしているわけです。例えば、過去3〜4年はグローバル・シティーとして発展するために、経済をいわゆるニューエコノミーに対応させるために電子政府などを促進してきました。また、経済的なリストラクチャリングを行い、銀行、電気通信、そして教育でさえもシンガポールではかなりリストラクチャリングが進みました。こうして新しい時代に対応するための準備がされているのですが、欠けていることもあるわけです。それは何かという質問を投げかけなければなりません。アジア地域には東京のほかに、例えば香港などがいわば競争相手といえるでしょう。そのうちに上海、あるいはバンコク、シドニーなどが競争相手として出現するでしょう。そこで、グローバル・シティーとしてシンガポールの地位はどうなるのかということであり、ハンディがあることを認識しなければなりません。
つまり、このような問題に対応するには、よりオープンなディベートができる環境、人権の尊重、市民社会の存在が必要なのです。もう1つシンガポールに欠如している要素で余り討論されていないものは―非常に重要な問題なのですが―これは開発の倫理ということです。環境的な正義、社会正義、空間的な正義、このようなものを考慮に入れなければ、このグローバリゼーションの問題全体は1つの面しかもたない、少数派のものになってしまいます。コミュニティーが、全体としてグローバル化から利益を得ることができるのかどうかという観点から、エシックス(倫理)の問題をみなければいけないということであります。