最後に、そういう情報社会での共の新しいパラダイムということを考えてみますと、基本は対等な主体の間、個人や組織の間の相互の理解、信頼、そして互酬、これは人類学者の言葉でありますけれども、お互いに、一方的に送り合う、分け合うという関係を基本にいたしまして、しかし古いものも全部つぶしてしまうとか、対立して闘争するということではなくて、相互のバランスと補完を重視する。
そして、制度的には、3つほど仮に考えてみましたけれども、これまでの国家主権、そして私有財産権に対して、第3の権利、共権、情報権という言葉を使っておりますが、第3の権利の体系を確立し、もちろんこれだけでは不十分でありまして、公権や私権と組み合わせていく。それから社会資本、とりわけ情報通信のインフラについては、一種の共産―というと共産党みたいでまずいのですけれども、地域の共同の財産ということにしてこれを設置し、構築し、運用していく。そういう構築や運用の一種の起爆薬というか、媒介剤として、「共貨」、地域通貨を利用する。例えば、地域通貨でもって、地域の光ファイバーネットワークの構築の資金を獲得する。そして、地域通貨で支払う。支払いを受けた人は、その地域通貨を使って、地域で別のサービスを買うというようにしますと、それが回り回っていけば、最初のネットワーク構築の費用は、地域の住民の間で平等に分担されることになり、さらにうまくいけば、新しい経済活動の呼び水になるかもしれない。そういう形で産業や社会が回れば、いってみれば、お互いのコラボレーション、共同、共治とでもいうべきシステムが生まれていくだろう。そして、コミュニティーとしては、そこに共生、「共創」、「共愉」と書いてみましたが、共生というのは、建築家の黒川紀章さんが古くから提唱されているコンセプトであり、共創というのは、たしか電通総研さんが提唱されたコンセプトですね。それから、共愉というのは、イバァン・イリッチというアメリカの思想家が言い出したカンビビアリティーという英語に該当します。こういった価値を追求する場としてのコミュニティーという、これが新しいパラダイムの基盤になり得るのではないでしょうか。
繰り返しますけれども、これだけあれば足りるという意味ではなくて、むしろ資本主義的な、あるいは公主導の枠組みを補完していくための第3のプリンシプルということで、うまく組み合わせていくならば、短期の変調はいずれ克服できて、次の新しい発展の道に乗ることができるのではないか。