公開シンポジウムの概要
11月10日に行われた公開シンポジウムは、大河原良雄 当研究所理事長の司会進行により、欧州からピーター・シュミット ドイツ国際政治・安全保障研究所 研究主任、ヴィクトール・イヴ・ゲバリ・ジュネーヴ高等国際問題研究所教授、アメリカからラルフ・コッサ戦略国際問題研究所副所長、韓国からキム・ビョンギ 高麗大学教授、そして、日本から植田隆子 国際基督教大学教授の5名のパネリストを迎えて行われた。
シンポジウムでは、最初にシュミット博士による基調講演が行なわれた。博士はまず、ユーゴスラビアに対するNATOによる介入について、欧米とアジア諸国の間で受け止め方に差があることを指摘した。アジア諸国においては、今回の武力介入について国際法上どう捉えるかについて関心があるが、欧州及びアメリカにおいては、コソヴォで起きている事態に対して解決することを前提に、どう対処すればよかったかという観点から考えていると述べた。すなわち、コソヴォ自治州における紛争はもはや看過できる状況になく、明解な解がない中で行動せざるを得なかったと述べた。
次いで、国連と安全保障理事会は国際社会にとって、不可欠ではあるが完全なものではないと述べた後、最後に、東アジア、そして今後の国際社会に対するインプリケーションとして、多国間の紛争防止システムが必要ではないか、また民族問題等により国家が分裂するかもしれない事態が発生したときの対処方法を検討する必要がある等述べ基調講演を終えた。
次いでゲバリ教授から、以下の点が指摘された。教授は、まず、コソヴォ紛争は1989年に行われた連邦政府によるコソヴォ自治州の自治権剥奪に起因しており、そのときに何らかの対策をとるべきであったと指摘した。1998年になって初めて対策が取られた理由として、コソヴォはユーゴスラビアの国内問題とされていたこと、アルバニア系住民が平和的手段をとっていたことを指摘し、併せて98年にコソヴォ解放軍が組織され、武力紛争がエスカレートしてきたことの3点を挙げた。、紛争の仲介の努力が様々になされたがうまく機能せず、1999年の1月にランブイエにおいてコンタクトグループにより交渉の場がセットされたが、この会議がセルビア人側の頑なな姿勢により失敗に終わったこと。NATOの空爆はこの結果行なわれたのであり、この時点ではすでに他の選択肢は失われており、NATOの行動は合法的であったかどうかというと問題なしとしないが、道徳的あるいは道義的には空爆は正しい選択であったと言えると述べた。
最後に教授は、コソヴォ紛争は未だ終わっておらず解決には長い時間を要するであろうと述べ、その解決のためには「3つのD」、すなわち、民主主義化(Democratization)、経済発展(economic Development)、市民社会の非武装化(Demilitarization)、が必要であるとの認識を示した。
次いで、コッサ博士が、つぎの3点、すなわち、コソヴォ問題が米国の安全保障政策に対して及ぼす影響、非介入と介入との間の論争と着地点、日本がなすべきこと、について所見を述べた。