CASE3
I. ボランティアって手段なの?
被災者支援を経験した女性
自分が聴かなくては
阪神淡路大震災でボランティアをしていました。県外避難者支援のため、電話で情報提供をする活動に関わり、被災者の愚痴や不満をひとりで1時間でも2時間でも聴いていました。
避難所にいる被災者に比べて、支援の手が差しのべられにくい状況にあった県外避難者のために「自分が聴かなくては、自分しかいない」という義務感で受話器を取りあげていました。そのうちに事務局の人に「変な言動をする」と言われるようになり、髪が抜けはじめました。髪が全部抜けてしまっても、力ツラをかぶってまだ電話を取っていました。事務局の人によって強制的に活動を停止させられた後、自宅の鏡で自分の姿を見てはじめて、自分がかわいそうになって泣きました。
活動停止後、心理学の先生に師事しながら時間をかけて自分を癒していきました。半年以上たって、髪の毛が生えてくると、震災による海外の被災者に少しずつ支援物資を送るなど、活動をするようになりました。友だちの話でさえ「もう聴きたくない」と思っていた自分が、元気になるにつれて「また聴きたい」と思うようになっていました。
セルフヘルプを信じる謙虚さ
現在は病院で傾聴ボランティアをしています。傾聴ボランティアの養成講座で技術を習得したことで、今はバーンアウトすることはないと思います。「聴く」というのはとても大切なことで、同時にものすごくエネルギーを使う大変なことです。以前と違って、今は、相手のセルフヘルプを信じる謙虚さがなければ同伴者にはなれないという理念をもつことができます。また、バーンアウトした経験があったからこそ、自分自身の突っ走りにブレーキをかけることを知り、どういうスタンスで援助をすればいいのかがわかるようになったという面もあります。
震災当時も「ケアする人のケア」の必要性については言われていました。