ケアする相手に興昧をもたなければ、仕事はつまらなくなります。心を閉ざしていても身体的な介助はできますし、仕事も表面的には成り立ちますが、そうすると、相手の微妙な変化にも気づかなくなり、私の方が仕事を続けることに耐えられなくなると思います。
どん欲になりすぎず、割り切りすぎず
ケアの仕事は、一人の人間をいろいろな角度から支える仕事です。目には見えない微妙なことがたくさんあり、その一つひとつは答えが出にくいものです。それに対して、常に答えを探そうという野心をもつのは大変なことです。どん欲になりすぎず、さりげないかたちで感じつづけることができたらいいと思います。
仕事としてケアが成り立つためには、友だちではなく、家族でもないという関係のなかで、ある程度客観的に見ることや、割り切ったつきあい方も必要です。そうは言うものの、割り切りすぎない微妙なさじ加減が必要ではないでしょうか。
私自身は子どもの頃に転校を繰り返して「いろんな人がいるんだなあ」と感じてきました。転校するたびに、友だちにもめぐまれ、辛い思いはあまりしていませんが、子どもなりに「転校生として自分自身の考え方をしっかりもつことが大切、でも強くもちすぎても周りの友だちになじめない」ということを感じてきました。そのことが、今でも人に接するときに役立っています。
人と出会って学ぶ
ケアする相手にとって、私が必要であるとか、絶対的な存在だと考えるのではなく、ケアは生きているなかにあるものだと思います。人と接することで、自分を見つけられたり、癒されるだけではなく、生きる力につながってくるものだと思います。
人と出会って、相手のもっている多くのものを、自分のなかに取りこめるかどうかが問われます。