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大江健三郎については多くの著書で紹介されているので、ここでは簡単に記しておく。

「頭部に異常のある新生児として生まれて来た息子に触発されて、僕はこの『個人的な体験』にはじまり、いくつもの作品を書いてきた」3)

1963年頭部にこぶをもって誕生した光さんは生後2ヵ月半で切除手術を受ける。一命はとりとめたが、知的発達の遅れが目立ち、幼児期には、言葉によるコミュニケーションがほとんどなく、クラシック音楽、童謡、鳥の声にのみ関心を示していたが、それらが、後に小曲の作曲にひろがり、CD『大江光の音楽』『大江光ふたたび』『新しい大江光』につながり日本アカデミー優秀音楽賞にも輝く。しかし現実には、家族の介護を必要とした障害のある人であることにはかわりがない。この家族は、光さんを受容した時点で、各々が自らの生き方にめざめ社会に働きかけはじめるのだ。大江家では、精神の減退をあらわしはじめた義母「―このところ義母はますますひんぱんに居室にあてている応接間から玄関に出て門までの行き来を繰り返すという状態で、僕は仕事をしながら原稿用紙の端にドアの開けたてを記入していたところ百回を越えたので記録をやめてしまったほど」4)をも介護する力をつけた家族として生きはじめている。

光さんの妹さんは、大学でも障害のある人のためのボランティアサークルに入る。このボランティアの経験が、あるときには家族のなかの障害のある人(兄)高齢の人(義母)を、ある距離から、家族に必要な知識を大幅に拡大したりまた組織的なものにする。そして、なにより彼女は「家族のなかの障害者である兄を、社会のなかの障害者として位置づける見方のできる」5)存在になっていく。家族のケアが社会にひろがる道すじを見る思いである。ではこの営みの根源に何があるのか。

 

 

 

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