ケアする人が、自分で考え、自分に対する信頼感を高めていくこと、そのためには、そのことを見ていてくれる人の存在が必要だということができます。
私たちが議論してきたキーワードのひとつに「祈り」があります。苦悩を越えて自分の力で成長していこうとする人にとって、聴くことや待つこと、何もしないということ、こういった寄りそう姿勢は重要です。それに加えて「祈り」にも、人の本性にまで降りて人としてあるべき原初の姿がよみがえる力があることに注目しています。
そして、その寄りそう他者、見守りながら祈る他者は必ずしも人間である必要はなく、動物や自然といった自分の存在を理解し、自分を必要としてくれるものも含まれます。あるいは「自分が自分になる」なども大事なキーワードのひとつだと考えています。
ケアの文化の構築に向けて
立教大学教授の栗原彬さんは、「ケアする人のケア」研究集会において、ケアする人をいかに健康にするかということではなく、私たちは誰もが障害をもちうる、あるいは病をもちうる普通の人間であると認識することから始めるべきだとしたうえで、「文化としてのケア」について次のようにまとめています。
ケアが、「出会い」にとどまらず反復する行為になったとき、日常的な慣習行動としてのケア、つまり文化という要素がでてくる。「文化としてのケア」を問うことは、それぞれの習慣や考え方を変えるということであり、それは制度や政策を変えることにもなり、個別の出来事としてのケアのあり方を変えることにもなる。
「文化としてのケア」を考えるとき、言葉やアートといった、表現するための媒体が重要になる。自己表現がケアにつながるとすると、それを私たちの日常の慣習行動として根づかせていくことが大事になる。これは同時にその人の実践を、他の人に向けて、世界に向けて発信していくことでもある。