日本財団 図書館


各論8

「癒し」とは 〜坊主バーの試み〜

清史彦

 

大阪はミナミの繁華街、若者の街アメリカ村の南のはずれに「ミナミの九龍城」ともあだ名される古い4階建てのビルがある。その2階に「坊主バー」はある。「バー」だから、お酒を飲む場所なのだけれど、同時に「坊主」と名乗るごとく、カウンター7席の薄暗い店内には仏像や曼陀羅が置かれ、店の2階の4畳半の「仏間」には南無阿弥陀仏の掛け軸まで掛けられている。極めつけは、本物のお坊さんがカウンターに座っていて、飲み客の話し相手になってくれる何とも摩訶不思議な空間である。

来られる方はいろいろだが、話をさかなにお酒を飲んだその感想を聞くと、おおむね「何か落ち着く」「ここは、ほかではできない話ができて楽しい」という声が多いようだ。

 

成り立ち

坊主バーは、開いてもう7年半になる。私、清史彦とバーテンをしているY君が中心になり、ほか数人の仲間の協力を得て1992年12月に開店した。いちおう今も何とか続いているところを見れば、世間からの一定の評価を項いているということなのだろう。

この坊主バーは、人と人との自然な出会い、流れの中でできてきたように思われる。それは、Y君と私との出会いから始まった。

私は平野区にあるお寺で月に一度、「ひらの聞思洞」という座談会を開いている。それは「自分のことを語り合う集い」で、初めての参加者には自分史を語ってもらい、次回からは「最近の私」を発表してもらう。どこかの誰かの話ではなく「私はこうした」「私はこう思う」ということを言葉にして項く。世間のことを話題にしてもよいが、それが自分自身にとってどうなのかということが要点となる。そうして数人の参加者がそれぞれ語るうちに、皆で語り合える話題が自然と出て来る。そうこうするうちに、お酒も加わり、いっそう舌もなめらかになり、エンドレスに話が深まっていく。

その場にたまたま参加したのが、Y君。何度か参加するうちに、「清さん、この場はとてもおもしろい、毎晩やりましょうよ」と言い出したのだ。この言葉で坊主バーは始まった。

もともとお寺は、あらゆる人に、世界に開放された場であった。いろんな人が出入りし、それぞれが生きることを語り合った。その輪の中に、私たち坊主もいたのだ。ところが残念なことに、今のお寺の多くは門を固く閉ざしている。いみじくもオウム真理教の信者が「お寺は単なる風景だ」と言った、そのままの姿になりはてている。それは、ひとりの仏教者として、とても残念なことである。だからこそ私として「ひらの聞思洞」なる試みを始めた訳で、Y君の申し出に「そらオモロイ。すぐ場所を探してよ」と私は答えたのだ。

Y君と私が知り合ったのは、その数年前、当時、住吉の神の木にあった「バルボラ」という喫茶店にさかのぼる。「バルボラ」は、私の友人がやっていた喫茶店でその店主の優しさに引かれて、いろんな人が集まる場になっていたが、その場に、いわゆる不登校の子供たちの溜まり場が「余里路倶楽部」という名でできていた。私も宗教者の端くれだから、不登校にも奥味があったので、自然とその「余里路倶楽部」のサポーターの一人になっていたのだ。そこへ来ていた20歳そこそこのY君に「ひらの聞思洞」を紹介し、「いっぺんけえへんか」と誘ったのだ。

「そらオモロイ」となって、具体的な店探しが始まった。Y君は以前小さなバーをしていた経験があり、その関係で、数日のうちに小さな場所が見つかった。リースだというが、けっこう安い。私はまた「そこに決めよ」と即決した。

店の内装もY君の友人の芸大生などがやってくれて、店ができあがった。なんと、開業資金は160万円ですんだ。それも私の友人たちも出資してくれ、またカウンターで話し相手になるお坊さんも、友人たちが「それはおもしろい」と引き受けてくれて、またたく間に開店となったのだ。店の名前は、英語で「誓い、願い」を意味するVOWと坊主を掛けて「VOWS BAR」とした。

 

願い

場を開くにあたって、私たちの願いを「宣言」した。

設立の願いを持って店は順調に動き出した。すると、半年ほどして、マスコミの取材ラッシュが始まった。「お坊さんが何をやらかすのか」ということで、新聞、TV、ラジオ、週刊誌と多くのメディアが来られるようになった。ところがそこで必ず聞かれることが「ここでは、悩み相談をしてくれるのですか」である。取材はいつもこの質問に対する私の問いかけから始まった。

 

宗教とは

仏教でもキリスト教でも、本物の宗教であれば、確かに人間の悩みに答えてくれる。だが「悩み相談をしてくれるのですか」と聞くということは、その問いの裏に『宗教は悩みに答えてくれるもの。だから、悩みのない者にとっては宗教は必要ではない』という思いが隠されているのではないか。これこそ、日本人の貧困な宗教理解、日本の残念な宗教事情を表しているのである。

と偉そうなことを言ったが、私も仏教、とりわけ親鸞の仏教に出合うまでは全く、その取材記者と同じように思っていたのだ。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION