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断層の位置を少し西に移動させて津波の計算を行ってみた(図14)。意外なことに海岸線に現れた津波浸水高さのピークの位置は全く変化がない。ただ第1のピーク(西側)がより大きくなり第2ピークが少し小さくなるだけである。すなわち、「かいれい」の測量で得られた詳細海底地形図によって、この2点が津波特異点であることが数値的に解明され、それが現実の津波浸水高さの分布図とよく対応していることが判明したのである。

このような津波浸水高さ分布の上のピーク(特異点)の出現は、海底地形図の上の何に対応しているのであろうか?図13、14に示された海底地形図をよく見ると、Sissano潟湖の沖合で、陸棚斜面が外に向かって緩やかにはらみだしているところがある。また、Malol潟湖の前面にも西方から突き出てきた浅い地形が舌状に広がっている。このような地形が凸レンズの効果を発揮して、海岸線上に2個のピークとして焦点を結んだものと理解することができる。

 

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図14 断層位置を図13の場合より5kmほど西にずらせた場合。断層想定位置が多少ずれても、津波浸水高さがピークを示す点の位置はほとんど不変である。

 

紀伊半島尾鷲市賀田湾内に現れた津波の特異点

1. 賀田湾西枝湾奥の賀田集落の津波特異性

一般に熊野海岸と呼ばれる紀伊半島南東部に賀田湾という、東西、南北とも7kmほどの十字形の小湾がある。尾鷲市域ではあるが尾鷲の中心街がある湾とは別の湾である。熊野海岸は東海地震が起きる度に津波が進入し、湾内の各集落では津波の被害が生じた。この湾の津波の一番古い津波記録は1707年(宝永4年)の宝永地震による津波である。古文書の記載によると、西側枝湾の奥部にある賀田の集落で津波による海水の浸水高さは10.5mに達した。湾口に近い梶賀集落では5.8m、賀田湾最奥部の三木里では6m強であって、この湾内では西側枝湾の賀田で最高浸水高さを記録した。

 

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図15 三重県尾鷲市賀田湾を襲った歴代の津波による浸水高さ分布。

1707年宝永(東海)地震、1854年安政東海地震、1944年東南海地震、1946年南海地震による津波をそれぞれ示す。どの場合にも、西側枝湾の奥の賀田集落で津波浸水高さが最大になっていることに注意。

 

 

 

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