このように、北海道本土側海岸にも、茂津多岬付近と、尾花岬付近の2カ所が津波の浸水高さがピークを示していたことが見いだされ、数値計算結果の予測が事実であることが判明したのである。
この場合も、正確な海底地形図があったために、津波特異点の予測が可能であった。そしてこの事例でも、岬の先端付近では、その沖合で等深線が舌状に外部方向にはらみだしているために、そこが凸レンズ効果を発揮して、岬付近に焦点を結んだものと考えることができる。
1998年7月17日、パプアニューギニア国Aitape沖地震津波によるSissano潟湖被災地の津波特異点
1. Aitape地震による津波
1998年7月17日の夕刻、パプアニューギニア国北部海岸のAitape市の北西沖海域を震源とするM7.6の地震が起きた。現地時間では日没後の18時49分ころ本震がおき、および19時09分ころに大きな余震が起きた。この地震発生に伴って起きた津波はSissano潟湖付近の集落を襲い、約2000人の津波による死者を生じた。地震動そのものは沿岸で日本の気象庁震度5ぐらいであって、地震動そのものによる死者は生じてはいない。この津波の後2週間以内に京都大学防災研究所の河田恵昭教授を団長とする津波調査団が組織され、筆者もこの調査に参加した。最大被災地となったSissano潟湖付近の津波浸水高さに関する詳細なデータが得られた(図11)。
Sissano潟湖は北海道のサロマ湖のように、海岸線の延長としてのびた細長い砂州が、湖を海と隔てており、およそ直径10kmの半円形状の潟湖で、湖の北西端付近で幅約200mの口が開いて外洋とつながっている。東側の長い砂州の根元付近にはArop村を構成するArop 1集落が、そこから約1km西方の砂州の上にはArop 2集落があった。開口部の西側にはWarapuの本村があり、開口部のすぐ東側、すなわち東側の砂州の先端付近にはWarapuの村民が移住して住み着いた支村があった。
津波の最大浸水高さは、このWarapu支村付近で測定され、その値は15mであった。付近は人の住む村の存在したことを示す痕跡はほとんど完全に失われた。津波が海から砂州を越えて潟湖に入るときに土地を浸食して、敷地痕跡すら見ることができない、集落の完全流失を招いていた。これは第1の津波浸水高さのピークである。ここから約8kmほど東に、Malol潟湖という別の小さな潟湖があり、この潟湖の東端にMalolの小集落と教会がある。この潟湖の少し西側は集落のないところであるが、ここでも浸水高さ12mに達する第2の浸水高さのピークが現れている(図11)。