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満68歳になる名瀬市の船大工坪山豊はその師匠:海老原満吉から技法を学び、現在の奄美の競争用船アイノコを造船しつづけている。

8月第一週の金土日の三日間にわたって繰り広げられる「奄美まつり」は“島歌”“船漕ぎ競争”そして“八月踊り”がその日のメインイベントであり、島民全員(島外からも出身者が帰省して参加する)参加の祭りである。坪山豊は船づくり以外に“島歌”の名人でもある。奄美まつり船漕ぎ競争大会には200チーム近い参加があり、本島諸島あげて奄美のウミンチュ(海人)が朝から落日を見るまで終日船漕ぎを競い合う。しかし、決して優劣を競い合うばかりでなく、島外チームや職場チームなど多彩な参加があって、なごやかで楽しい雰囲気を醸し出している。昔は大漁祈願や豊作祈願の意味を強くもっていたというが、現在そんな感じはなくなっている。加計呂麻島をもつ奄美本島の南の瀬戸内町および大和村、住用村にはまだ多くの集落単位の船競争が辛くも残っている。が島の北部ではほぼ町大会に集約されてしまった。イタツケも瀬戸内町以外からは消えた。

 

◎沖縄

沖縄では船競漕をハーリー(糸満市ではハーレー、八重山諸島鳩間島ではパーレー)と呼んでいる。一般的には旧5月4日におこなわれる船競漕行事(海神祭)をさすが、本島北部ではウンジャミ(旧盆後の亥の日)やアブシバレーといって虫払い行事におこなわれ、八重山諸島では豊年祭(7月末から8月初旬)や節祭(旧9月の巳亥の日)におこなわれている。

その起源については14世紀のビン人36人姓による招来説や『琉球国旧記』『那覇由来記』などの沖縄古書には南京の爬龍舟を模倣して造り、那覇港で競漕したという説、それに屈原の故事にならったという説などがある。これらはいずれも中国からの影響が強いことを表しているが、農耕儀礼としての要素も多分にある。

 

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旧5月4日(海神祭)のハーリーはおよそ次のような順序でおこなわれている。

まず女性の司祭らによって拝所をまわり神の加護を祈願する。そしてハーリーはウガン(御願)バーリー、転覆ハーリー、アガイ(上り)バーリーの順でおこなわれ、特にウガンバーリーが重視される。

この他、地区によっては古くから中国から伝わるアヒルの掴み取りがおこなわれたりする。今日では、これらのハーリーを中心に地区別や職域、青少年、婦人の部がおこなわれ、神事というよりはレクリエーション的色彩が濃い。

また、八重山諸島の豊年祭や節祭は競漕というよりも神事の一環としての儀礼の要素が強く、沖合から浜に漕ぎ込む舟は沖合から福(豊作)を持ち込む意味をもっている。その意味では沖縄本島のハーリーとは趣を異にしている。

 

 

 

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