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不知火海の南で盛んな『船競漕』は津奈木町と水俣市の「せりぶね(競り船)」と独特の呼び名をもつ。漕ぎ方はペーロンあるいは龍舟競争に変わらない。ただ現在ここでは市町を挙げてのスポーツ行事になっている。

 

◎鹿児島県下

根占町、菱刈町、鶴田町に近年、ドラゴンボートレースが盛んに行われるようになっている。根占では16年前に始まった。ここが450年前に中国との貿易基地として栄えたことから、町起こしとしてドラゴンボートレース(龍舟競争)が始まったそうで、その後、鹿児島県下へ広がって行ったようである。

伝統的な『船競漕』の形跡は、桜島町や吹上町に見られるが、地域全域に広がったふうには見えない。不思議なことに、奄美の船漕ぎ競争や沖縄のハーリーの伝承はほとんど見られない。

 

◎奄美大島および諸島

奄美諸島における『船競漕』は与論島など沖縄に近い島でわずかに「ハーレー」と呼ばれるほかは、すべて「船漕ぎ競争」と呼ばれている。また、使われる船は与論島で「サバニ」と呼ばれる以外は、「イタツケ」か「アイノコ」である。漕ぎ方はほとんど両手で漕ぐ櫂(短い櫂)である。

このことから奄美の独自性が理解できる。独自性と矛盾するではないかと言われるかもしれぬが、「道の島」といわれる独自性である。すなわち船競漕のやり方そのものが、長い時代を通して、琉球と薩摩(鹿児島そして本土)の中間的色合いをもっている。沖縄の「ハーレー」も長崎の「ペーロン」も、最近年鹿児島県下に広がっている「ドラゴンボート」も奄美では呼称に決して取り入れられていない。独自の「船漕ぎ競争」を通しているが、消えつつある集落単位の舟漕ぎは「浜下り:浜下れ」と呼ぶ。そして船は現在ほぼ「アイノコ」となっているが、この合いの子は「イタツケ」と「サバニ」の合いの子なのである。

 

奄美諸島の船競漕分布図(消滅は略)

 

◎ 市町村単位でするもの

○ 集落単位でするもの

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