したがって、この役は若くて走力のある人がなったようだ。しかし現在では浜に岸壁が造られたため、このようなレース形態はなくなった。ちなみに、山口県でもかつては同様なレース形態が見られたが岸壁建造のためなくなってしまった。だが沖縄・八重山諸島、香港ではまだ残存しているようだ。
両地域では女性の船競漕が古くからおこなわれており、特筆に値する。
耕地に恵まれない地域では舟は命の次に大切なものとされた。男も女も生活のため舟を漕いだ。一般に女性が舟に乗ることを忌み嫌う地域が多いが、壱岐・対馬では舟は生活必需品であった。したがって地域にもよるが女性が競漕舟に乗ることもめずらしいことではなかった。昭和16年対馬・琴村では雨乞いのため女性だけによる船競漕がおこなわれ、壱岐・郷ノ浦町大島では大正10年大正天皇即位を記念して、昭和42年には明治百年を記念して女性だけによる船競漕がおこなわれ、以後は何回となく女性による競技がおこなわれてきたことが記録に残っている。