明治期にはこの競漕によって網代を選択したというが、そのような様子は微塵もない。また優勝旗やトロフィー、賞金が出されるなど、かつての神事的な要素はほとんど見ることができなくなった。
和船競漕としては、わが国でも有数の規模をほこっていたが、漕ぎ手の減少等からやがて数年先には消滅するだろうという声が聞かれるようになった。また、競漕船も建造から40数年をへて、限界にきているという。かつて漁業が盛んな折には船の建造などたいしたことはなかったというが、現在ではすべてがマイナス状況になっている。
19] 通くじら祭り
・山口県長門市通
・7月20日
・ながと漁業協同組合通支所青壮年部橘会 TEL0837-28-0008 通公民館
・プラスチック船4隻の和船による競漕
★古くから捕鯨の地区として栄えた。伝統文化の継承と地区民相互の連帯を高めるために、昭和54年より実施された。また毛利水軍の一役をになっていたところでもある。「古式捕鯨」や「和船競漕」の伝統にちなみ、現在も古式捕鯨実演とおしぐらんご、ペーロンの2種類の船競漕がおこなわれている。まず、おしぐらんごは4丁櫓と船頭(拍子とり)、カジとりの6人。ペーロンは小櫂8丁と船頭、カジとりの10人。
20] 舟まつり
・山口県長門市仙崎港
・4月22日
・仙崎漁業協同組合 TEL0837-26-1313
・プラスチック船3隻の和船による競漕
★八坂神杜の行事で、現在は4人櫂とカジとり、それに声かけが乗って往復170〜180mの距離でペーロンが行われているが、戦前では「舟祭り」と称して和船競漕を行っていた。6丁櫓の船に台ふりと舵取りが乗った。
21] オシクラゴウ (現在はない)
・山口県長門市深川湊
・5月1日(昭和10年頃まで続いた)
・深川地区
・木造船数隻の和船による競漕
★妙現神社の行事で6人が一組となり、5丁櫓に台ふりが乗って競漕した。船競漕すると雨が降るといわれた。