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練習は各組ごとに行われ、それぞれ青年宿ごとに先輩たちが見守る中でおこなわれる。選手はレースの4日前に各組ごとにと艫乗り(25歳以上)以上の人達によって行われる。かつては選手は櫓の技術だけでなく、平常の仕事ぶりなど人物評価が選考の基準として重んじられ、選ばれることは大変名誉なこととされた。ここで選ばれるのは青年宿に入宿中の15から25歳までの青年であった。しかし、今日では青年の数が減少し、しかも漁業不振も重なり漁業従事者の数が減少しているため、玉江浦以外の人の参加を仰ぐまでになっている。

その結果、競漕船の数も4隻から3隻に減船せざるをえなくなった。そして1995年からコースも大海から橋本川河口でおよそ2km往復で行われるようになった。それ以前では指月山をのぞむ西の浜から沖に向かって2km、往復4kmのコースであった。ちなみに、戦前では往復8kmであったという。

なお、行事の規模縮小にともない勇壮な「和船競漕」の名称から「玉江浦ふるさと祭り」に変更され、漁師だけの祭から町内の祭りに変わった。したがって船競漕も祭の1行事になった。

海で行われていた頃は船の間隔は100mぐらいで、端の船は小さく見え難いほどであった。コースは抽選によって決められる。先に引いた組は潮の流れなどを勘案しながらコースを決めた。船はまっすぐ沖合に向かい2kmのところにある自軍の旗を抜き取り持ち帰る。レース中はやっこや拍子取りは櫂で左右に分かれ漕ぐ。旗の抜き取りは櫂かきによって行われるが、なかなかの技術をようするという。

乗員は7人で、5人の漕ぎ手とやっこ、拍子取りであるが、漕ぎ手のなかで舵をにぎる艫櫓は特に長い。そして櫓さばきの最も優れた者がこれにあたる。やっこは舳先に立ち、漕ぎ手の士気を鼓舞するためにふりつけをする。拍子取りは漕ぎ手の調子をとるために船板をたたく。これら2人は女装する。その昔は襦袢に化粧をした女装であったという。漕ぎ手は褌に向こうハチマキをする。

レース前には漁協横で開会式があり、優勝旗返還やくじで選ばれたチームが選手宣誓をするなどスポーツ大会となんら変わることがない。そして大勢の観衆が見守るなかで各組ごとにやっこが踊り応援歌が披露される。観衆・選手ともに士気を盛り上げムードは最高潮に達する。

さらにスタート前には審判員の厳しい立ち入り検査がある。主に櫓のチェックが行われ、漕ぎ具に違反がないか、不正な仕掛けはないかチェックする。

また、数年前までは青年宿対抗であったため、レース前は各組ごとに選手を集め先輩諸氏が檄を飛ばしていた。その間、選手らは正座して神妙な顔をしてそれを聞いていた。しかし、船の数が減り選手一同は上組の宿に集まるようになり、和気靄々としてかってのような緊張感はなくなった。当然、それはレースの士気にも影響するものと思われる。その昔、レースをめぐってしばしば喧嘩があったというが、今日ではきわめて儀礼的な行事になってしまった。

 

 

 

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