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現在の祭日程になったのは昭和50年からで、それまでは7月15日に行われていた。さらに遡れば、旧6月初丑の日であったものが旧6月15日に変わり、昭和4、5年頃から7月15日になった。

祭りの準備は22日から本格的に始まる。その中心は古座地区の上・中・下の3地区であり、実務を担当するのは勇進会である。この勇進会はこれらの地区の青年漁業従事者によって組織されている。しかしながら、今日では青年の数が少ないために祭の準備は壮年層までのOBが下の町にある勇進会館でおこなう。

23日は小伝馬の練習がおこなわれたり、祭をいろどる屋形船の飾りつけも行われた。またこの日の早朝各家庭では大掃除の後、潮汲み場での潮汲み儀式を行い家には注連掛けをする。午後から櫂伝馬(競漕舟、3隻)の飾りつけが行われる。

競漕舟は現在ではレース前まで海に浮かべたままであるが、競漕が盛んな時期(戦前)には舟は丘にあげられ、23、24日は各町の辻に飾られ披露された。そして舟底にうるしや油を塗って舟の滑りを良くしたり、他の町からの妨害を防ぐために寝ずの番をして見張ったこともあったという。またこの時女性(子ども)が舟に触れると一大事で、塩をかけタワシでこすったり、その親はトモガイのところへ謝りにいくというハプニングもあったという。

24日は早朝から御船や当船舟の飾りつけがにわかに活況を呈し、祭を迎える準備も最終段階にはいる。河内様の河原にも幟がたてられ祭壇、ショウロウ屋台が設営される。御船の船体には絵が描かれている。この船は鯨船で、その昔はこの船で源氏の加勢に出たという。ここ熊野地方では鯨船の多くが母体に菊などの絵が描かれていることが特色としてあげられる。またこの船は4丁櫓であるが、現在はほとんど船ガイ機を用いるため形式的なものになっている。舳先にはヘノリという白装束の者が立ち、櫂を用いて船の舵取りをする。

同日夕方、港付近では中学生によって櫂伝馬の競漕が行われる。古座では中学生による櫂伝馬を小伝馬といい、船競漕を戦合(せんごう)という。小伝馬は古くから行われているが、昭和35、6年頃までは青年らによって大伝馬もあった。しかし青年の数が少なくなり、消滅してしまった。つまりそれ以前までは当日、小伝馬と大伝馬の2つの競漕が翌日の走前哨戦として古座3地区の対抗として行われた。特に大伝馬は負けた組は翌日の獅子伝馬曳きがかかっており、勝敗に対する執着には並々ならぬものがあった。なぜなら青年らにとって翌日は好きな女性の乗る屋形船に近づくことが、目的であったため、獅子伝馬曳きを免れようと必死であったという。

現在の小伝馬の競技方法は、各町の3隻が1艇身ずつ離れ、一直線になってスタートする。コースは百メートル弱の周回コースで2周する。スタートの順位を換えて3回戦行う。これは翌日の本レースの予行練習といったところで、河内様のコースとほとんど同じ状態で行われる。スタートの合図は審判の船上からタオルをふる。

25日早朝、古座神杜で神事がおこなわれ、船に乗り込む。そしてのろしを合図に当船は河内様に出発する。この船に屋形船、櫂伝馬、獅子船が続く。

午後1時頃、船競漕が始まる。レースは船と船の間隔が1艇身、停止していること、櫂が上がっていること、全艇がほぼ一直線になっているなどの条件を満たした時にスタートがきられる。現在は審判船の合図でスタートするが、その昔は三番船のトモガイが「ソーラ」の合図で始まったという。

 

 

 

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