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2隻の船が並ぶと急に太鼓の調子が急に速くなり、競漕がはじまる。多くの応援船が取り巻くなか、「押せ、押せ」のかけ声がとぶ。距離は700m近く。ゴールが決まっているわけではない。阿古師神社の近くまで2隻は渾身の力を振り絞って競漕する。

漕法は一番前の櫓には4人がとりつき、櫓の腕側の人が数回漕ぐと隣の3人の股間を通って櫓ぐい近くに移動、同時に3人は腕側へ移動する。4人の巧みな櫓さばきによる循環漕法である。後方の櫓は3人であるが空間が狭いこともあり、幕の骨組みである竹づたいに移動する。この間、太鼓は鳴りつづける。レースが終了すると幔幕が下ろされる。そして、船はゆっくり阿古師神社岸壁に横づけする。そこで再び神事がおこなわれるが、その間応援船は船上で宴をする。

阿古師神社での儀式が終わると、船は甫母の港に向けて出発する。再びレースの再開である。ここでは競漕船の舳先に女装した少年(踊り子)が乗る。しかし、競漕の間には身を低くして船にへばりつく。この他、船にカサブキが飾られる。競漕が終わり、船が港に入ると大勢の観衆が見守るなかで船唄に合わせて踊り子が両手にダイを持って踊る。この時船はゆっくり湾内を回る。

それが終わると今度は二木島港めざして競漕がおこなわれる。それは3回とも同じである。ここでは賑わいとしてカツオ船や大名船といって侍に仮装した子どもらを乗せた船が登場する。カツオ船はカツオの一本釣りをまね、藁で作ったカツオを釣り上げる。『熊野市史』はカツオ船について「神武天皇の兄弟が流れてきたとき、カツオ船の人が助けに行ったことに由来する」と記している。

二木島湾では多くの観衆が踊り子に注目する。ゆっくり湾内を回る2隻の船の舶先に立ってそれぞれ2人の踊り子は競演する。それが終わると、双方の船ともにそれぞれの地区へ返っていく。

この祭に合わせて、多くの人が返ってくる。当屋の諸役も漕ぎ手も現在は周りの人々の協力なくして継承出来なくなってきている。2000年では漕ぎ手に中学生が参加した。年々高齢化にともない漕ぎ手不足がしんこくである。

 

12] 二木島子供舟漕ぎ祭り

・三重県熊野市二木島

・5月4日 漁港

★上記11]の祭りの春行事として子供を中心に行っているもの。残念ながら、平成12年は中学生の数が足りず中止になった。

 

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