二木島祭りは厳格に守りつづけられている当屋での儀礼と船競漕がメインである。
当屋は二木島と二木島里・甫母に二分された地域から、それぞれ一軒が選定される。そして湾の入り口の両側に鎮座する室古神杜、阿古師神杜の当屋となって祭祀を支えおこなうのである。
二木島祭りは昭和43年までは年2回(5月5日と11月2日)行われていたが、翌年から年1回(11月5日)となり、昭和45年以後11月2日、昭和54年からは11月3日になり現在に至っている。また5月4日は漁協主催の漁業祭がおこなわれ、子どもの船競漕がある。(しかし、2000年は実施されなかった)
当屋にあたる当人を二木島ではショウドという。ショウドの選定は当初祭礼の半年前に行われていたが、やがて1か月前になり、近年では十日前になっている。年2回の祭礼がおこなわれていた頃はショウドは半年をサイクルに注連つけ祭を初めとして当屋の任を遂行した。朝晩の垢離とりもこの時から開始された。したがって海岸近くに垢離場がつくられた。今では青竹を骨組みとした四角の囲みであるが、古くは二方に米俵を置き、青竹を四隅に立て、正面に注連を張ったものであったという。また注連つけは、当屋で月1本ずつ行われ、計7本がそろったときに注連ぞろいとなる。しかし現在は10月28日にすべて一緒にする。しかも注連は家の表と裏にだけはる。本来は家の周りをぐるりと巻いていた。また、当屋には幟、カサブキ、槍、薙刀、天目、吹き流しが飾られている。したがって当屋はどこから見ても一目でわかる。
祭礼前日、午後と夕方、2回にわたって儀式が行われる。特に夕方は正装しておこなわれる。しかし、年々簡略化されている。
船競漕の練習は2日前から始まる。「押せ、押せ」のかけ声で全力疾漕となる。何回も湾内を往復していた。祭礼前日の夕方、船の飾りつけが行われる。青竹で船の囲みの骨組をつくる。その周りを五色の幔幕が張られる。櫓の点検も行われる。
祭礼当日は早朝、戦いを思わせるけたたましい太鼓の音とともに始まるといってよい。以前は午前1時、2時から始まったというが、近年では近所迷惑だとして太鼓が鳴りはじめたのは明るくなり始めてからであった。
午前8時すぎ、再び太鼓が湾内をこだまする。練習を終えた船が当屋近くの船着場に停泊し、神役の乗船を待つ。船には五色の幔幕が張られ、槍、薙刀、天目、吹き流しが飾り付けてある。やがて正装した神役が登場。その昔、神役の一部は船底に横になっていたというが、現在は室古神杜までで、それ以降は別船に乗る。乗員は舳先の太鼓打ち、漕ぎ手、交代要員を含め三十余人である。(昔は四十人余であったという)漕ぎ手は腹部にサラシを巻いて上半身裸、白のショートパンツをはく。その前は褌であったという。
全員が乗船すると、船は船唄に合わせて静かに室古神社に向かう。櫓は八丁で、一番櫓には4人が取りつくが、あとは3人である。船は関船といわれ長さ14m、幅2.3mである。水押しにはマークが入っている。一般に熊野の鯨船には絵柄船が多い。
室古神社で神事を終えると、2隻の船にそれぞれ乗り込み、幔幕が天井に上げられ、船はゆっくり岸を離れ、阿古師神杜に向かう。