日本財団 図書館


市町村単位の『船競漕大会』が現在、主流になっているが、それらの回数を見てみると10〜20回(年目)が多く、市町村誕生100年記念、全国規模や全県規模の○○体育大会○○文化祭を契機に、ふるさと創生事業で、といった動機がいわれる。ただ、そんなケースでも“昔あったもの”を復活することがほとんどで、無から生ずることは少ないとみられる。このような成立時期に関しては、より精密な調査の必要性を感じる。

 

4) 船と漕具

競漕用の『船』は現在どんどんプラスチック船(FRP=強化プラスチック)に替わっている。木造船は船大工の高齢化、減少とともにごく限られた存在になりつつある。

木造船を守っているのは、長崎のペーロン、奄美の船漕ぎ競争の一部、沖縄のハーリー、壱岐対馬のふなぐろう、各地の櫂伝馬など、伝統的な『船競漕』に限られるようになっている。そこでも木造船の造船は次第に困難になりつつある。例えば、奄美ではアイノコを造船する船大工:坪山豊はすでに70に近い。櫂伝馬の各地では多くが自地に船大工が居なくなり、あちこちと船大工を探す必要がでている。広島県倉橋島へ造船を頼んだとか、熊野では四国の室戸へ造船を頼んだと聞いた。

漕具については、櫓(ろ)が櫂に替わっていくケースも見られるが、櫓を漕ぐことができなくなって行事が消滅するほうが多いようにみえる。また、櫓を作る技術が船大工以上に早くなくなっていく。

(石原)

 

5) 漕ぎ方と競漕形態

船競漕が船技術の進歩に大きな影響を与えてきたことはすでに述べた。船は競漕を繰り返すことによって、より合理的な船型や漕具が追究されて今日に至っている。そして同時に漕ぎ方もかわってきた。これもより合理的な漕ぎ方を求めてきた結果であろう。

●漕具

では漕具の合理化はどのように図られたのか、簡単にいうと、漕具の原形はおそらく棹や櫂あたりであっただろう。それがやがて、一枚板が改良されて合わせ板(2枚)になり、T字櫂になり、より合理的な漕具になったことは容易に想像できる。それはまた櫓も同様であろう。

櫂や櫓など最近の漕具をみると、以前と比較してずいぶん改良されたことに気づく。いずれも共通していえることは軽量化されたことである。これは当初日常労働に使用する漕具を使っていたため、丈夫で長持ちする材質であったが、競漕が盛んになると競漕をより有利にするために軽量化がはかられていった。つまり競争が本格化すると一段と合理化が推進されるようになった結果である。戦前戦後を通じて、対馬のように船競漕の盛んな地域では競漕用の特別な櫓は天井に大切に保管し、船も自分の船が競争用に選ばれるようにわざわざ軽量船を新造したというところもあった。このように競漕に対しては尋常ではなかった。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION