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造船研究(平成12年10月)

 事業名 造船技術研究開発課題並びに研究成果の調査
 団体名 日本造船研究協会 注目度注目度5


(3) 新河岸川の河岸

1] 川越五河岸

新河岸川舟運の出発点は、現在の東武東上線の新河岸駅から南側の踏切を渡って東へ十分程歩いていった旭橋の周辺である。この旭橋の東上線側に橋の上下に上新河岸と下新河岸の二つの河岸があり、対岸に牛子河岸、少し上流に扇河岸、少し下流に寺尾河岸があったが、これらが「川越五河岸」と呼ばれ、川越城下町の外港となっていた。これらの河岸は、川越藩の御用荷物の輸送のために開かれたが、その後この地域の農業生産の発展に伴って、ますます隆盛になり、最盛期には30軒の河岸問屋があったといわれている。しかし、これらの河岸は水量の関係で、川越の街より4kmほど離れていたので不便であり、もっと上流に仙波河岸が開かれることとなったが、その完成は明治2年のことである。江戸時代は、この川越五河岸が最上流の河岸であった。

現在、旭橋橋詰の一本の柳の下には、川越市指定史跡「新河岸川河岸場跡」の記念碑が立っている。(写真1参照)昔はここが下新河岸の船着き場で、付近には船問屋や商家が建ち並らんでいたところである。平成三年に調査に行ったときには、旭橋のすぐ近くに船問屋「伊勢安」の立派な建物が残っていたが、最近現地を訪れると、蔵は残されていたものの、母屋は取り壊され再建のためのコンクリート基礎が工事中であった。近所の人に話を聞くと、木材も昔の物をできるだけ使用し、造りも従前のものに忠実に再建されるとかで、ほっとした。現に、所有者の方が住まれているので、他人が勝手なことは云えないが、可能な限り昔の面影が残ることを期待している。

 

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写真1 新河岸川河岸場跡

 

2] 中河岸

舟運の発達とともに、川越五河岸の下流にもたくさんの河岸場ができていった。図1は、『新河岸川舟運特別展資料』(昭和54年、川越市文化財保護協会主催)にある「武州新河岸川の図」である。この図には、新河岸川に21の河岸が示されている。上記の「川越五河岸」の直ぐ下流、福岡河岸から志木河岸(引又河岸)までの11の河岸が総称して中河岸と呼ばれていた。

中河岸のうち最初の福岡河岸は、享保年間(1716-1735)に廻船問屋が始まり、安永2年(1773)に半兵衛(吉野屋)、三之助(江戸屋)、門左衛門(富田屋…後に福田屋が名義を借りて運行)の三軒の問屋が幕府から公認されていたといわれる。この河岸からは、周辺で生産されたさつまいもなどの農産物を積み出し、肥料などを陸揚げした。これらの廻漕問屋の中には、肥料、農産物、瀬戸物などの仲買商も兼ねていた者もいたようである。

 

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図1 武州新河岸川の図(「新河岸川舟運特別展資料」より)

 

 

 

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