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また船大工に対しても同じ享保6年に、新造船の場合の川船役所への届け出についての取締り強化の通達が次の通り出されている。

「船大工新艘造り立候はゞ、その旨川船役所へ相訴える筈に、去る冬申し付け候處、由にして訴えざる船大工もこれ有り不届きに候、向後訴えざる船大工これ有り候はゞ、過料申し付くべき候。この旨船大工共に觸れ知らすべきもの也。」

さらに『徳川禁令考』の享保6年(1721)の項には、次のような通達もある。

「右の外、武蔵、相模、安房、上総、下総、伊豆、駿河海辺に之有る無極印船、江戸内川へ乗入れ、川船御年貢船と入交り、稼紛わしく候に付(中略)向後船持勝手にて、川船同前に御年貢差出、往来稼したくと相願候船持は相改、極印打ち渡べく候。船差出候節は、吟味の上船相当の間尺入れ(寸法計測し)、御年貢盛付、川船極印打渡し、御年貢役銀取立申し候」ここでいう海辺の舟は、当時これらの国々にあった五太力船や押送船等のような小型の運搬船と思われる。この記事から本来は近隣の国々の海で使われる舟であっても、江戸の川筋の内に入ってくる場合には、川舟と同様に年貢や役銀を収めなければならなくしたことがわかる。

この享保の極印改めの特徴は、長期間をかけて綿密に調査を行っていることと、船大工に舟の詳細な報告させることを徹底していることである。この背景には、元禄から享保にかけての江戸の繁栄にともなって、関東、東北の各地方から江戸へ特産物を運送するため、関東一円の河川水運が増大して無登録の舟が増えてきたこと、幕府の財政を強化する必要があったこと等がその原因となっている。

 

4. 舟の寸法計測の規則と税額

(1) 年貢役銀の支払い及び違反船処罰

享保6年(1721)3月には、川船役所勤方の船役銀取立て等について業務の定書が出されており、その内容が『徳川禁令考』(巻27川船役所)に集録されている。これらは、もともとは高札として関宿、猿江、橋場の三ケ所の船改め番所に建てられていたものである。

*毎年八月より翌年五月までに川船の御年貢並び役銀を納めること。

年貢手形については、番所において改めを請けなければならない。

*御年貢手形のない船が、他の船の手形を借りた場合、貸主も借主も両方違法として扱う。

*往き還りの船、昼夜に限らず番所においては、断って通らなければならない。

かくれ、忍んで往き還りすることは違法である。

 

(2) 年貢の定め

『徳川禁令考』には、「川船間尺盛附之定」という古文書が収録されている。また、東京都公文書館が所蔵する『府治類纂』や『東京市史稿』には、「川船御年貢盛附置証文」という文書が収録されている。文書の名称は若干異なるが、内容は同じもので、享保6年(1721)3月に出された、川舟に年貢をかけるための基準となる船の寸法計測の規則を定めたものである。この両文書を参考に、当時の舟の寸法計測の規則と税額を以下に整理してみよう。

1] 年貢の一般原則

次の(3)で述べるように舟の寸法計測の方法は、大きく四つのグループに分けられている。その中で一般的な荷舟である第1種船及び第2種船については、間尺計測の規則によって「5尺を1間」として測られた「長さと横幅の合計」又は「長さのみ」の「間」又は「尺」に対して以下の原則で課税する。但し、武家の使用する舟は、ここで定められた御年貢の額の5割増とし、商船は御年貢の他に別途役銀を掛けるものとする。なお、享保の改訂により、役銀は51匁になっている。

計測された1間について100文づつ1間未満の端数については、

6寸未満は切り捨て、

6寸から2尺5寸までは50文

2尺6寸から5尺までは100文

2] 茶舟類に対する特例

次の(3)の中で第3種船に分類される茶舟と呼ばれる船には、「一間を六尺」として計った「長さ」対して、下の税率が適用される。この茶舟とは、湊で雑用に使われたり、艀として荷物の短距離の輸送をする小型の舟ことである。

 

 

 

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