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2-3 推進システムにみる軍事技術の変遷

 

前述のごとく、近代海軍の推進システムの幕開けは1940年代に英仏が採用した蒸気レシプロ・エンジン推進スクリュー装甲艦である。1904-5年の日露戦争が英米製の軍艦で戦われたことは既に述べたが、商船の世界では1910年頃まで帆船がかなり幅をきかせていた。1910年の英国の船舶統計では帆船4,967隻、蒸気船9,421隻が登録され、そのうち2,160隻は50トン以下、4,191隻は150トン以下の漁船、6,450隻が貨物船、1,587隻が客船となっている。

 

米海軍の大型、中型艦艇は、第2次世界大戦後原子力推進機関やガスタービン推進機関が出現するまではほとんどがボイラーの蒸気力を推進動力とする蒸気タービン艦であった。原子力推進が最初に採用されたのは潜水艦である。原子力推進以前の潜水艦は、浮上中はデイーゼル・エンジンを水中では蓄電池を動力としていたので、潜航能力は弱く15ノットで30分、2ノットで2昼夜程度であった。第2次世界大戦末期に使用されたシュノーケルも、吸気筒を水面に露出しなければならないので隠密性に欠けるものであった。原子力推進機関は空気を必要としないため長時間の潜航が可能であり、浮上中でも水中でも同一機関で推進できるので潜水艦には最適の推進機関であるといえる。

 

第2次世界大戦終了時までに民間造船所として米海軍の潜水艦建造に従事していたのはジェネラル・ダイナミックスのエレクトリック・ボート造船所(Electric Boat Shipyard:EB)である。EBは1899年の創業で、第1次世界大戦には85隻、第2次世界大戦には74隻の潜水艦を建造している。

1950年1月米海軍からEBに入った電話は、その後のEBの潜水艦建造所としての地位を不動とするものであった(参考資料6)。電話の内容は、海軍はウエスチングハウス社製の原子炉を動力とする原子力潜水艦を建造したいがポーツマス海軍工廠から断られたところ、EBで建造可能であろうかというものであった。EBは即座にこれを引き受け、1951年8月21日契約書にサインした。

こうして米海軍最初の原子力潜水艦ノーチラスは、1954年1月21日アイゼンハワー大統領夫人を迎えて進水式を挙行した。冷戦構造の最も厳しかった1960年代には7つの造船所が原子力潜水艦の建造に従事し、攻撃型潜水艦及びSSBNを建造しソ連と対抗した。その後、EBは米海軍の全ての形式の潜水艦の建造に携わっている。

 

第2表は、米海軍の潜水艦の原子炉の性能を比較したものである。第1号艦のノーチラスから約20年を経た1976年11月13日に就役した攻撃型潜水艦ロス・アンジェルスSSN688では、炉心のエネルギー密度はノーチラスの6.5倍、炉心の寿命は15-20年とノーチラスの7.5-10倍となっている。また、1996年末就役の攻撃型潜水艦シーウルフではエネルギー密度は更に高く、ノーチラスの8倍、炉心の寿命は30年とノーチラスの15倍となっている。1990年の冷戦構造終結以降は、高価な潜水艦を建造する正当性が無くなり、米海軍は21世紀の潜水艦として従来の潜水艦のごとく急速潜航、深海航行性能を備えない浅海用つまり沿岸海軍用の安い潜水艦バージニア・クラスの建造を考えている。それにもかかわらず、バージニア・クラスのエネルギー密度はノーチラスの10.5倍、寿命は16.5倍となっている。

 

 

 

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