90年代初頭に始まった深刻な不況から、90年代半ばにはポーランド経済は、比較的強力かつ迅速な回復を示した。回復が進行するとともにインフレは沈静化し、金利も低下したが、輸出依存度がさらに増していた造船業は新たな難題に直面することとなった。1995年から96年にかけて、ポーランド通貨ズローティの米ドル及び主要造船国の通貨に対するレートが大幅に上昇したために、国際市場におけるポーランド造船業の競争力が低下した。造船所の経営陣がこのような不利な為替変動に対して有効なヘッジ措置を講じていなかったために、状況は一層悪化した。その結果、ズローティ高前に受注した一部の新造工事について、赤字が発生した。
1人当りGDPはまだ先進工業諸国に遠く及ばないとはいえ、1993−99年の期間の大半を通じて、ポーランド経済は平均年率5.3%の堅調な伸びを示した。しかし1999年には、国内の高金利、(主要な輸出先である)EUの低成長、ロシアの危機的状況継続により、ポーランドの経済発展は足かせをはめられた。それでもOECDの"Economic Outlook"(1998年12月発行)によれば、今後2年間のポーランドの経済成長は加速するものと予測しており、実質GDP成長率は2000年が5.2%、2001年が5.8%と見込まれている。
政府の施策:
90年代において、各種の施策がポーランド造船業に特筆すべき影響をもたらした。しかしこれらの施策を論ずる前に、90年代のポーランドでは93年10月、97年9月と、2回の総選挙が行われたことを指摘しなければならない。2回の総選挙に挟まれた期間の政権は、連帯主導の前政権の民営化政策を引き継いだが、しかしその進捗のペースは遅くなった。また、この政権は病めるグダンスク造船所に支援を与えることに熱意を注がず、むしろポーランドの主要造船所を1大グループに統合することに力を注いだ。1997年の総選挙に連帯選挙同盟が勝利を収めたことから、グダンスク造船所の状況に同情的な政権が再びポーランドを指導することになった。