・冷蔵船建造の大幅減少。近年では冷蔵船の新造需要自体が一般に下降気味である。
・グダンスク造船所は1994年にクルーズ船建造市場に参入しようとしたが、不成功に終った。その後ポーランドではどの造船所もクルーズ船受注を試みていない。
2.6 輸出信用と保険保証
ポーランドの各造船所が1990年代初期に直面した他の難問もさることながら、政府支援による輸出信用と保険保証がないことも弱点となった。ポーランドの資本市場が未発達である上に、国内の銀行は信用保証や融資を渋ったり、あるいはその能力がないために、造船所は資金調達先を国外に求めざる得なかった。
特にグディニア造船所は、外国銀行と緊密な関係を結ぶ先駆者となった。当初は西欧の銀行を対象としたが、やがてさらに遠方の国にも資金調達先を求めた5。1994年11月に同社がCitibankと結んだ協定は、この面での成功の基盤をなすものである。Citibankはグディニア造船所が受注した各種の新造船工事について、国際銀行団から保証を取り付けるのを援助した。このように外国からの資金調達が可能になったために、グディニア造船所は、投資3ヵ年計画の財源として、1996年に60万米ドルといわれる融資を得られることになった。この投資は、同造船所における配管、塗装、溶接等の質的向上を図るためのものであった。
2.7 経済発展と政府の施策
経済発展:
ポーランド経済は1990年代初頭に深刻な不況を味わい、実質GDPは1989年の17%減に続いて90、91両年にもそれぞれ7.2%、7.0%の減少を見た。この不況に超インフレが追い討ちをかけ、そうでなくても乏しいポーランド造船業の資本準備高を著しく目減りさせてしまった。造船各社の苦境は超高金利(ある段階では60%を上回った)によりさらに深刻化したが、船舶金融がほとんど利用できないこと(ポーランドの銀行制度の欠陥による)の方が、造船所にとっても、国内船主にとっても当面の問題であった6。
5 シチェチン造船所も、その後外国銀行と緊密な関係を結ぶことになった。
6 このような資金難から、造船所は新造船工事に必要な資金手当てのために、後述するように各種の斬新な手法を考え出した。