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90年代の初頭にはポーランドの造船所とこれら諸国の造船所では、人件費の差は比較的少なかった。しかしポーランドは東欧で最初に経済改革を断行する第1陣に加わり、この自由化により給与水準が極端に低いベースからとはいえ、大幅に上昇した。すなわち90年代が進むと共に、ポーランドの各造船所は旧共産主義諸国のライバルからの低船価攻勢にさらされる危険が生じ、設備近代化、生産性向上の必要性に迫られることになった。

・「連帯」主導の政権によるグダンスク造船所の延命策。共産党政権は同造船所を1990年末までに閉鎖する計画だった。

・冷戦終結に伴なうワルシャワ条約諸国からの艦艇の受注減少。厳しい経済停滞により、東欧圏の固定顧客からの受注が失われた。Stocznia Marynarki Wojennej、Stocznia Polnocna両造船所はこれにより特に打撃を受け、商船建造への方向転換を余儀なくされた。

・旧ソ連、東欧の船主からの修繕工事受注の減少。これが一因となってGdanska Stocznia Remontowaなどは新造船、改造船、海洋構造物関連事業にも多角化した。

 

このようなことから、ポーランドの主要造船所は1991年以降、揃ってマーケティング活動に力を入れることになった。しかも、その活動は、共産党政権時代に国内の全造船所のマーケティングを集中的に統括していたCentromorを通じて行うのではなく、各造船所がそれぞれ独自に行うこととなった。

 

2.4 労働慣行と調達方針

労働慣行:

1980年代末、ポーランドの新造船設備のかなり老朽化した状態もさることながら、生産性は他国の生産性水準よりはるかに低かった。その一因は、国内のいずれの造船所にも共通な人員過剰によるもので、その傾向はホワイト・カラー層に特に著しく、これは共産主義時代の官僚的管理機構の遺産であった。ポーランドにおける賃金は極度に低かったことと共産体制の下では雇用維持が必要であったことから、70年代、80年代には、このような低生産性も一般に許容されていた。しかし世界市場での競争力を強化する必要性と人件費の急増から、状況を改善することが至上命令となった。

 

 

 

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