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ポーランドがドイツから地理的に近いこと、さらにドイツ国内造船所に比べポーランドの船価が低いことが、KG金融による発注がポーランド各造船所に殺到する状況につながった。

ポーランド造船業がコンテナ船部門で地歩を確立したもう一つ重要な理由は、1989年にシチェチン造船所が、現在では姿を消したブレーメルハーフェンのRickmers Werft造船所からRW49型コンテナ船の設計を購入したことにある。この設計がドイツ船主になじみ深かったため、それがシチェチン造船所のコンテナ船受注獲得において決定的な要因となった可能性は高い。この市場への浸透にひとまず成功したシチェチン造船所は、90年代半ばには世界でも有数のコンテナ船建造ヤードとなった。

 

2.2 造船助成

本報告書で既に述べたように、ポーランド造船業は造船助成を受けずに操業せざるを得なくなった。ポーランド当局は、前の共産党政権が助成を約束した多数の案件がまだ各造船所の手持工事に残っていたにもかかわらず、助成を全廃した。他の造船諸国が引き続き助成を行い、また助成廃止を定めたOECD協定が発効しないことから、ポーランド造船業は対外競争において不利な状況に置かれている。

 

2.3 ソ連圏の崩壊

東欧における共産主義体制の崩壊は、ポーランドの経済、そして造船所に根本的な影響を及ぼした。その影響とは主として以下のように要約される。

 

・ソ連圏の船主からの需要が大幅に減少した。その影響はシチェチン造船所において最も深刻で、1981−90年に同造船所で建造された125隻のうち、非東欧圏所在の船社向けはわずか18隻に過ぎなかった。ポーランドの他の造船所の客先4はもっと多様で、特にグディニア造船所の場合はコメコン同盟諸国以外向けの新造工事の比重が大きかった。

・ロシア、ウクライナ、ブルガリア、ルーマニアの造船所が国際市場への進出を強化した。これら諸国の造船所も、同じように旧東欧圏の船主からの受注減少を何かで埋め合せなければならなかった。

 

4 同造船所の主要な客先はソ連の国防省、漁業省、ガス産業省だった。

 

 

 

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