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98年の竣工量48隻700,000GTは、GTベースで過去20年間で最高の年間実績である。この回復3により、ポーランドは96年以来、ドイツに次いでヨーロッパ第2の造船国となっている。この回復は以下のような事情を考慮すれば驚くべきことである。

 

・ポーランドの非共産政権は、1991年1月から一切の造船助成を撤廃した。前政権が約束していた、外国船主からの既往契約案件に関わる補助さえも取り消された。(このため、助成を前提として受注した船舶の建造により、かなりの赤字が発生し、それが1990年代にポーランド国内造船所に広く蔓延した重い債務の大きな原因となった。)

・コメコンの崩壊により、ポーランド造船業は東欧圏内からの受注の大半を失った。

・90年代初頭のポーランドでは、悪性インフレ、超高金利など、事業環境がきわめて厳しく、そうでなくても限られていた造船所の資本準備高をさらに減少させ、借入れの金利負担が一層重くなった。

・造船所の近代化と設備更新、さらには人員削減、生産性向上の必要性は明白である。

 

1990年代も半ばから末期に進むとともに、ポーランド造船業の姿は以下のような点で大きく変化した。

 

・それまで未経験の地域の市場に進出した。成否は必ずしも一様でないが、失われた旧ソ連圏からの受注を補おうというもので、西欧、南米、南ア、環太平洋諸国などがその対象となった。特にドイツがポーランド造船業の大口輸出先として浮上したが、これはKG金融により発生したコンテナ船建造ブームに負うところが大きい。

・建造船種の多様化。1990年代初頭にはポーランド国内の新造船は冷蔵船とRO/RO船に大きく偏っていたが、90年代半ばからコンテナ船が建造の主流を占めるようになった。しかしコンテナ船に過度に依存する危険を避けるために、各造船所はその後、オープン・ハッチ式ハンディマックス型撒積船、ケミカル・タンカー、プロダクト・タンカー、一般貨物船などに多角化している。

 

3 1999年の速報値によれば、竣工数は580,000GTに減少した。

 

 

 

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